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写真はアートなのか?

2014年10月15日 00:00

ネイル

ネイル

Pentax K-5, Sigma AF17-70mmF2.8-4OS HSM

※ブログに視覚要素を加えるlightboxを導入しています。上記画像をクリックすると少し大きな画像をポップアップして見る事が出来、暗くなった部分をクリックするか、画像下部のCloseをクリックすると元に戻ります。



「写真はアート、だからどんな表現をしても良い、自由なんだよ」

こういう事を言う奴が嫌いだ。今日はそんなお話を・・・。勿論、「アート」なる言葉を定義しよう、そんなアカデミックな内容ではない。いつものようにオッサンが赤提灯で後輩に向かって管を巻いている図を想像して頂きたい。

ゴッホが生前全く評価されなかったのは皆さんご存知でしょう。彼は生きている時、世間からはアーティストとはきっと呼ばれなかったに違いない。売れないイコール、絵を描くのが好きな人でしかない。

20年くらい前だったか、新聞の海外通信欄のコラムで、親が遊び心で出品しちゃっただけの子供の悪戯描きがコンクールで優勝しちゃった!、なんて話が載っていた。

これは子供に絵の才能があったのでなく(いわゆる特殊な脳をお持ちの方々ではなく)、ただの悪戯描きを審査員が「スゲェ抽象画だ!」と評価しちゃっただけ。実に笑える。

象に筆を持たせ(鼻に)、人が無理矢理キャンバスに殴り描かせた絵が(象が描いたとは知らずに)高い評価を受けているなる似た話もあったりする。

※どうやら象は風景を記憶する能力に長けているらしく、絵心のある象の絵は絵心の無い人間の描いたものよりも遥かに上手いらしいが(笑)

要するにアート、アーティストってのは己が決めるんでなく、世間が決めるんじゃなかろうか?。象が描いた絵と事前に判っていても、「良い絵だ!」と思えば、「うちの息子より遥かに絵心があるのぉ」と、その象さんはアーティストと呼ばれる。

評価されれば金を産み、そんな彼らはアーティスト。では写真を生業にしていないアマチュアカメラマンの写真は全てアートではない?。アマチュアカメラマンはアーティストではない?、難しいねぇ。

先ず1つ・・・。

「写真やカメラに対する知識が皆無の小学生に写真入門書を渡し、内容を理解出来る読解力があれば、翌日には立派なカメラマンになっている」

これは周知の事実でしょう?。コンデジがスマホに駆逐されてしまう今、少なく見積もっても日本人の半数はカメラマンだ。そう考えるとアマチュアカメラマンをアーティストとは呼びにくい。

そもそもプロカメラマンの写真を見ても、風景写真の分野で「この人の写真はアートだなぁ」なんて思うのはほとんどない。単に風景と対峙しているだけの写真でアートなんてあり得ない。

勿論、それで評価が低くなる事とはない。優れたカメラマンは人を魅了する風景を見つけ、その場に立った、その行動力が素晴らしい。

山岳写真家なんてまさにそうでしょ?。写真、カメラのテクニックの他に険しい山に登る体力と知恵を身につけている。とても常人では写せない写真を撮ってくる。

以前にも書いたと思うが、本場リオのカーニバルの観光写真でも、確実に浅草サンバーカーニバルの写真よりも(私は)高い評価をする。それは地球の反対側に行った行動力、普通は行けないよ、それが素晴らしい。

フィルム時代、仲間同士で飲みに行く機会が多かった。その時、あるカメラマンが、フィンランドだったと思うけど、長期間出張し、その時に撮影した写真を持ち込んだ。それを見た別のカメラマンが「なんだよ、行けば撮れる写真ばかりだな」と言い出した。違うだろ、行った事のない奴が「行けば撮れる」なんて口が裂けても言っちゃならん。

その彼はネイチャーフォト、特に滝が大好きで、関東の名瀑ならほとんど訪れているような奴だったが、それだって「行きゃぁ撮れる」写真だよね。だからこそカメラマン同士でこの言葉は禁句なの。言ったら最後、それはジェラシーでしかない。

しかし、我々、全員とは言わないが、ブログなどで同じアマチュアの良い写真を見るときっと心の中で「俺もそこに行けば撮れるね」と思っているに違いない。そう感じずとも「俺もそこに行きたいなぁ」と感じた時点で結局は同じ事。

キーはココ。なんだかんだと風景写真は「行けば撮れる」写真。上述の通り、常にスゲェと感じる山岳写真も自分が登山家になればそれなりの写真は撮れちゃう。つまりちょっと頑張れば、また運が味方をすれば誰もがそこに立てる風景写真に対してアートと呼んで良いのかなる疑問。

そう考えると風景写真に限ってはやはり「記録」なんだと思う。記録と思えば、山岳写真がスゲェのは当たり前、カナダに1週間以上留まり、オーロラを撮るのも優れた記録写真だ。オーロラは美しいけど、それは自然の為せる業であり、決してカメラマンの力によって写された風景ではない。

唯一、写真でアートと感じるのは人物写真だろうか?。勿論、望遠レンズで睫毛だけにピントを合わせ、背景ボケボケの綺麗、可愛い写真は小学生でも撮れちゃうから除くとして、物語、コンセプト、ある意味奇怪とでも言おうか?、それが優れている、明確な人物写真はアートだと感じる。

アラーキーの町歩きスナップ写真集は特に凄いとは思わないが、氏のポートレートは確かにエロい。エロくない写真でもエロく見えるし、反対に緊縛写真などはエロ、単なるSM写真なのに唯美、耽美さを感じる。

また篠山紀信が宮沢りえを撮影した「Santa Fe」、これもただのアイドルのポートレートではなく、見事な作品に仕上がっていた。これは衝撃的だったなぁ。それまで篠山紀信なんて偉そうにふんぞり返って、取り巻きやアイドルから先生、先生ともてはやされているスケベジジィとしか思っていなかったが、これもアートと呼ぶに相応しい写真集だった。

また、手法として「なるほど!」と唸ったのが・・・。カメラマンの名前を失念(1990年代、アイドル写真で結構名を馳せていた人)、彼は女性ポートレートにおいて、日中にタングステンのリバーサルフィルムを使い、それだと青が強過ぎるからハイキーの露出に設定し、さらに肌の発色を良くする為にマゼンタのCCフィルターを装着していた。

写真そのものは普通のアイドル写真なんだ(笑)。でもこの色調が美しいのなんのって。これは即真似をしたもんね。ポートレートでもそうだし、風景写真でも幻想的な風景になってくれた。

この手法、連れがハマっている。と言うのもそういう話を去年だか一昨年だったか「これってフィルムじゃなくてもデジタルのPentaxのカスタムイメージでほのかを使えば簡単に真似出来るぜ」と言ったところ、おお!、と感動し、心象的な風景でこの「ほのか改+タングステン改」で撮影している事が多い。

設定はおおよそ次の通り。「ほのか」を使い、彩度+1~+3、色相-2~-4、キー+4、コントラスト-2~-3、コントラストハイライト+4、コントラストシャドー+4。そしてホワイトバランスをタングステンにし、手動でマゼンタを+5~+7。そして撮影時に通常の風景の露出から+1~+1.5EV。本日の写真は、連れにこういう色になるんだよと初めて手本を示した時のもの(最終的にPhotoshopでソフトフォーカスを掛けている)。

これは心象風景だけでなく、ポートレート(さすがに女限定かな)でも確実に行ける。またPentaxユーザーでなくともRAWで撮影し、現像ソフトで同じような効果は簡単に出せるので、気に入られたら使われてみては如何だろうか?。ソフトフォーカスも加えたら結構良いと思う。

今回は「ほのか」を使っているが、「ナチュラル」や「風景」、「雅(miyabi)」でも、ハイキー、コントラスト最弱、ホワイトバランスをタングステンにし、マゼンタを加えればほぼ同じになる(彩度や色相は好みで)。

但し、Pentaxカメラのホワイトバランスはカスタムイメージとは別の独立した項目なので、撮影時にホワイトバランスをセットする必要がある。

つまり、カスタムイメージとホワイトバランスの両方を変更する必要があり、シャッターを切る毎にそれを行うのは面倒。だから私は従来通りに撮影し、糞だけどPDCU4を使って再現像をしている。

連れはホワイトバランスをタングステンにセットし、それをuser2に登録し、そのデフォルトのカスタムイメージが上の「ほのか改」になっていて、私よりもこの表現を頻繁に使っているんじゃなかろうか?。

余談だが、ホワイトバランスで遊びたい場合は、(私は面倒だからやっていないけど(笑))タングステンや蛍光灯等のプリセットされたデータを使うよりも、自分でカスタムした方が良い。今回のような写真ならば、色温度は3000K~4000Kくらいの間だろう。

ポートレーターならそれこそその値をユーザーモードに記憶させておけば良い。

人はろうそくの火や線香花火と言ったアンバー系の色に心が和むが、何故かブルーライトが犯罪抑止効果があると言う。確かに青い光って幻想的だから何か人の心理に引っかかるものがあるのだろう。

もしかするとアンバー系の色は心が和むだけなく、ムードを出そうと思うとアンバーな光を演出するのだから、若い世代なんかは逆にムラムラしちゃうんじゃなかろうか?(笑)。

だからこの手のクール系に振った描写は「あり」だと思うし、むしろこの手の心象風景はアンバーにするよりもハイキーなクールを目指した方がそれこそクールでカッコイイとさえ思っている。

PentaxカメラはAWBでも風景によってアンバーになる率が多く、また「曇天」や「日陰」を使うと、「おいおい、ここまでアンバーにしなくて良いだろう!?」と感じる程になるので、うちのK-5一号機は「AWB、太陽光、曇天、日陰」の4つはどれもクール方面に色温度を振っていたりする。

色温度はRAWにも作用するので、時間を掛けてでも自分の好みにカメラをセッティングするのが望ましい。


写真をアートと呼ぶべきか否か、これと同じで写真を作品と呼ぶべきか否か、そんな話題も結構見掛ける。作品、ズバリ「作りこんだ品」であるからして、単に良い景色を見つけパチリしたくらいじゃ作品とは呼び辛いと思うのが正直な気持ち。

何て言えば良いのだろう。被写体とカメラの間にカメラマンの意思がどれだけ多く介在するか、それが多ければ多い程、アート的作品になり、それが世に認められて初めて、記録から作品に昇華し、カメラマンをアーティストと呼べるんじゃないかなぁ。

だから風景写真よりも人物写真の方がアートと呼べる作品が多い気がしてならない。人物写真なら光を自在に作り出し、モデルさんのメイク、ヘアスタイル、衣装にまでカメラマンは気を配れる。さらに小道具を色々と用意すれば、例えばその人に和服の着付け、そして緊縛の知識があればアラーキーになれる。

9月25日の記事の元となった価格.comのスレッドでもアートか否かなる話も出ているが、写真を単に傾けただけでアート、そりゃ絶対無いぜ。写真を傾けるのは写真テクニックの1つでしかない。


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コメント

  1. | |

    管理人のみ閲覧できます

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  2. BigDaddy | URL | -

    > 鍵コメさん

    言葉、思想には表があり、裏もある、誰がなんと表現しようが、自分は自分でいいとは思います。
    「ヘラヘラ撮ってルンルンアップする」、そうやって例えばそれが質より量でもそれを10年やったら立派な作品群にもなりましょうし。

    考えない写真、仰る通りで、私なんか定点撮影とか、同じ場所を何度も撮り直したりしますが、その時の心境は悪く表現すれば「惰性で撮っている」とも言え、遊軍のように神出鬼没、あっちで撮ってこっちで撮って、そういうのこそ、ワクワクしたりします。とは言え、人間、石の上にも三年ですから、同じ風景でも突き詰めていけば何か見える気がします。

    日本では人物スナップ、いわゆるキャンデットフォトはもう無理でしょうね。写される側もマスコミに踊らされてか、肖像権を主張しますし、個人情報保護云々・・・。

    とにかく日本人全員がカメラマンになっちまった今、あまり深く考えても疲れるだけ、飲み屋でくだを巻くくらいが丁度良いと思っていますよ(笑)。


  3. のっぽ親父 | URL | ibdEl2N.

    あれ?

    鍵コメントにしてしまったのですね。m(_ _)m隠すつもりはなかったのですけど。

    そうそう。それですよね。
    酒のつまみでいいのですよね。(笑)

  4. BigDaddy | URL | -

    > のっぽ親父 さん

    やっぱり!。時折、皆さん、これをやらかすんですよね。

    恐らく間違えられたのだろうと思いましたが、一応鍵コメだったもので、のっぽ親父さんは背が高いから、雑踏に紛れ込むのは大変でスナップはさぞかし苦労されるのでは?、と書きたかったところを、書けませんでした(笑)。

    今、人物スナップを自由を撮影出来るのって女性くらいだと思います。子供でも男の子だったら、こらぁ!、と叱られる可能性もありますもんね。盗み撮りとかキャンデットフォト、その辺に関しては、また別途、管を巻こうと思っています。

  5. AJW | URL | irFTj9vI

    こんばんは。
     光を印画紙に感光させてアートといわれるような「画」を作る事は既に「マン•レイ」という人がやり尽くし、私たちがいくら創作してもマネっこしている範疇だと思ってます。
     暗室で創意工夫を凝らすなら熱血を感じるのですが、今はパソコン暗室で写真を材料にして、だれでも容易に画像操作ができますので、そういう類いの「画」を見ると「あー、やっちゃってる、自然なままでいいのに」というのが正直な感想ではないでしょうか。
     だれでもアートができる(パソコンのおかげですが、、)昨今は作品のレベルなどどうでもいいような気がします。
     
     記されておられるように、現地へ行って撮るという事が写真行為だと思います。その場での1/何秒の刹那的な時間を写す事が唯一つの写真の普遍性だと思います。

     なお、刹那的と記しましたが、写真の上手い人はその「一瞬」を捉えるためには永い時間を費やされている事は周知の事でしょうし、決して誰でも撮れる事ではないと思います。
     写真を傾けてアート?とは、まぁ、便器を並べてアートですねという時代もあった事を思いますと、アリでしょうか。ただ、水平垂直が出ている「画」は頑丈だと思いますが。
     

  6. BigDaddy | URL | -

    > AJW さん

    マン・レイ展、何年か前に見てきました。実は恥ずかしながら、何が良いのかさっぱり判らなかったんです。言い換えると、彼が生きていた当時は商業写真がアートに昇華する、もし私が写真史研究をしていたら重要人物として評価していたかもしれません。

    そして仰る通り、我々は先人達の真似事をしている過ぎず、それがパソコンで簡単にアート的な写真を作り込める訳で、どう評価するべきか、芸術系の評論を生業している方達でも悩んでいるのではないでしょうか?。

    私は今のパソコンでのデジタル暗室は良い事だと思っていて、誰もが扱える、言い換えると、技術も知識も不要で、センスとトレンドを見つけるアンテナを張る、たったそれだけで写真を完成させる訳で、スタートラインが皆同じ、それが面白いと思っています。

    とは言え、私もフィルム時代からの人間ですから、現場至上主義とでも申しましょうか、行く事に意義があり、現場で可能な事は全てやる、そうでなくちゃ写真に命が吹き込まれない気がしてなりません。まぁそんな偉そうな事を言っていても常に「遣り残し」と言う後悔が常にあるのですが(笑)。

    ナショジオの写真なんて見ていると、仰る通り、一瞬を捉える為にどれだけ事前に時間を掛けているか判りますよね。そりゃぁ良い絵になるだろう、これぞプロフェッショナルだと感じます。

    ではアマチュアはどうやって写真をアート、作品まで昇華させるか、そんな疑問にぶち当たります。ナショジオのカメラマンには決して勝てないのか?。

    良く言われている事で、地元の利、富士山を撮るのなら富士山麓に住むしかない・・・、でもそうじゃない。この解を得られたら、誰もがアーティストになるでしょうし、写真と言う趣味が成立しなくなるのでしょうね(笑)。

    各自が悩んで、どう人に見せるか、魅せる写真を撮れるか(デジタル暗室作業も含め)、それを楽しむのが写真趣味ではないかと思っています。常に試行錯誤しているのが楽しい、私はそう思っています。

    写真を傾ける、これも先人達が散々やりつくしたテクニックですから、そもそもそれを良いか悪いかなんて問うてもしょうがないと思いますし、仰る通り、水平垂直が出ている写真は頑丈ですし、世の中にはそういう写真の方が遥かに多いですもんね。

  7. ココロトレール アキオ | URL | -

    ブログを始めて、色んな人たちの写真を見る そしてプロの作品 その境界線は、案外、覚悟だったりします
    これで食べていくと人生賭けた人の写真は、違います  なにしろ 家族を養う そのために良い写真撮らなきゃなんない アマゾンの奥地で グロイ蛙の写真をアップで狙う もう絶対勝てない 図鑑用に撮るとなると アートとはまた違うような気もします アートをネットで調べると 作品を造る者とそれを見る者 それで発生する感動の相互作用を共有し合う事 つまり 撮った写真を見てもらい、感動してる姿を見て 俺の写真、感動しましたか?そうですか俺もうれしいです これがアート ゴッホ自身は、ひたすら好きで絵を描いていただけで 芸術を生み出している実感は、少なかったかもです とにかく相手がいることが前提です 一度写真サークルで自分の写真を解説してどんだけ難しいか説明して力ずくで 感動させようとした老人がいましたが この強引さに感動したらアートかもしれません

  8. BigDaddy | URL | -

    > ココロトレール アキオ さん

    仰る通り、撮影者と見る側の意識の共有なのでしょうね。それが合致したら「作品」であり「アート」になっていくのでしょうね。

    覚悟、それは良く判ります。しかし、覚悟があるから良い写真である、そう決定付けると、ではアマチュアは決してプロの写真を超えられないとも言え、アマゾンの奥地でグロイ蛙、以前、ナショジオカメラマンのドキュメントを見て、これはアマチュアには絶対に出来ない事だと感じました。

    アートか否かは別にして、では町のお散歩写真で、人生を掛けて写真を撮っているプロと、道楽のアマチュアとでどんな差があるか、それを考えると、実に微妙な気がします。

    撮影者を明かさずにプロ、アマチュア混在の写真をブラインドテストし、好きな写真を選べと言われたら、全員が命を賭けているプロの写真を選ぶかどうか・・・。

    写真サークルの老人、そういう人いますよね。私も自分の写真を解説しちゃうタイプですが(笑)、良い悪い、好き嫌いの判断ってほんの一瞬だと思うんですよね。興味の無い写真を熱心に解説されて好きになった場合、それは写真の力でなく、人の力、その本人の魅力が強いのではないでしょうか。

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