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今のNHK大河って視聴率悪いんだって?

2015年07月04日 00:00

小塚原刑場跡の首切り地蔵

小塚原刑場跡の首切り地蔵

Nikon D90, Nikkor 16-85mmF3.5-5.6

※ブログに視覚要素を加えるlightboxを導入しています。上記画像をクリックすると少し大きな画像をポップアップして見る事が出来、暗くなった部分をクリックするか、画像下部のCloseをクリックすると元に戻ります。



本日、「Sony α7 四方山話」はお休み。

何年か前の「平清盛」は「タイムスクープハンター」の影響を大いに受けたのだろう。時代考証をしっかりと踏まえ、民家の造りや衣装などを決定したそうだ。「タイムスクープハンター」は大好きな番組なので、その意思を汲んだと言おうか、「平清盛」は楽しく視聴していた。

ところが時代劇と言ったら娯楽、いつまで経っても「水戸黄門」であり「暴れん坊将軍」なのだろうな。その正しい(とされる)時代考証が気持ち悪いとか汚いとかで視聴率が落ちたらしい。はぁ、馬鹿どもめ!。NHKだかからこそ時代考証に従った時代劇を作るべきなんだ。

そんな私はそれ以降の大河ドラマは一度も見ていない。今年の「鼻もげる」・・・、もとい「花燃ゆ」も時代は幕末、そして井上真央が主役なのは知っているが、何を主題に描いたドラマなのか全く理解していない。

そんな私が「花燃ゆ」に大いに関連した場所をお散歩してきたんだな。




とその前に・・・。

時代劇がどうあるべきか?、これは難しい問題だ。勧善懲悪、恨み晴らしますの「必殺仕事人」は架空の物語、娯楽作品。中村主水や三味線屋の勇次なんてヒーローがあの時代いる筈もない。千葉真一主演の「影の軍団」、実在した服部半蔵であるが、あんな集団がいたら歴史が変わる!。でも面白い。

全て正しくなくちゃいけないとなったら、江戸時代、結婚していたら女は皆お歯黒で眉もないし、武士や町人、一説には歩き方が現代人と全く異なっていたそうで、また言葉だって飛鳥、奈良時代、平安時代辺りは今の日本語とはかなり違っていたろう。だから全てを正しく(もしくは正しいであろうと推測)に従うと反対にコメディになってしまう。

幕末の歴史に丸で興味がないのは我々が思い描いている志士達は司馬遼太郎の世界観でしかない。司馬遼太郎が良くないとは言わない。私も幾つかの作品を読んで楽しんでいる。でもそれが真実であるとみんなが勘違いしちゃっている点がどうも気に食わない。

それを言うと池波正太郎だって独自の世界観で時代小説を書いていたので多くに誤りがあろう。でも池波正太郎は江戸時代、江戸っ子の「粋」を上手く描いている、それが風俗、文化に通じるから好きなんだ。しかも文体からしてフィクションだって判るでしょう?。反面、司馬遼太郎の作品は丸で見てきたかのような・・・(笑)。

だから6月14日の記事に記した通り、歴史云々、歴史的人物云々よりも庶民の風俗や文化に興味があるのだった。幕末の歴史は嫌いでも幕末から明治初期の庶民の風俗、文化検証は好き。タイムスクープ社の沢嶋雄一になれたら真っ先に明治初期の吉原に行くね(笑)。

では本題へ。「花燃ゆ」に関連した場所とは一体?。それは小塚原刑場である。

5月31日の記事で訪れた場所は品川区大井。大井といえば大井競馬場が有名だが、歴史好きなら鈴ヶ森刑場跡を挙げる。観光地と言う程ではないが、上のように時代劇に対して偉そうに語るのなら訪れていて当たり前の場所。

ところが記憶違い、鮫洲の辺りだと思っていたんだ。ある筈なのにない。えぇい、もう面倒臭いってんで行かずじまい。

その後、6月24日の記事の通り、柳橋から吉原まで歩いたので、だったら少し北へ進めば小塚原刑場跡(こづかっぱら)じゃないか!。ここは迷う場所じゃないんだ。何しろ南千住駅から徒歩0分なのだから(笑)。

この時、ひどい勘違いをしていた。吉田松陰はこの小塚原刑場で斬首に処されたと信じて疑わなかった。だってここにお墓(納骨されていない供養墓であったとしても)があるのだから・・・。

この手のネタは間違っちゃ恥だから知識の範囲内の事柄を述べていても、おおよそ直前にネットで確認するようにしている。今回は確認して良かった。どうやら吉田松陰は(時代劇で有名な)小伝馬町牢屋敷に捕らえられていてそこで斬首されたらしい。

その後の話はブログによってまちまちで、処刑されたものは基本的にはその場に捨てられ墓も作れない。だから縁の者達が小塚原刑場近くの回向院(小塚原で処刑された人々を供養する為に創られた)に墓を立てた説が有力なのかな?。

安政の大獄の数年後、吉田松陰の亡骸はこれまた縁の者達に引き取られ若林にある松蔭神社にあるらしいが、恐らくそれが正解 だろう。まぁ興味ある方は色々と検索して頂きたい。判っているのは吉田松陰の亡骸は一度は小塚原刑場に捨てられたのと、小塚原刑場横の回向院にある墓は供養塔でしかないって事。

時にそうやってネットで調べていると回向院に加えて延命寺と言う名称も出てくる。これは元々回向院であって、JRの線路が作られる時に分断されて、南側が延命寺として独立したみたい。吉田松陰の墓は回向院、首切り地蔵は延命寺側にあり、どちらも小塚原刑場跡と言える。

そしてあの解体新書で有名な杉田玄白らが小塚原刑場で死体の解剖をしていたようで、回向院にはその旨が記された碑がある。しかし刑場跡を線路(高架)でぶった斬るって凄いよね(笑)。

余談だが、小伝馬町牢屋敷を古地図で眺めるとどれにも「囚獄」と書かれている横に「石出」とか「帯刀」と言う文字を見つけられる。なんぞやこれ?、調べてみると「石出帯刀(いしでたてわき)」、小伝馬町牢屋敷長官の世襲名との事。なるほど勉強になった。

また現在、小伝馬町牢屋敷跡とされる公園内には時そのものや、処刑を知らせる鐘が今も残っているが、昔はこんな場所になかったそうだ。これは以前テレビで見聞きした知識(笑)。だからこの公園の鐘を見て「吉田松陰が斬首の時もここで鐘が鳴り響いたのだろう」なんて言っちゃ駄目みたい。知識人に「ここじゃ鳴らなかったぜ!」と言われ恥を掻くだけ。

小塚原刑場は古地図には単に「仕置場」と書かれている。ここから吉原まではすぐ。歩いて10分も掛からないんじゃないか?。そう考えると凄い。まぁそれを言えば現代の方がもっと怖い。巣鴨プリズン跡地が池袋サンシャイン(笑)。東条英機とかゾルゲとかがここで処刑されたのだから。

そう言えば刑場跡って寺になる他に公共施設になっている事も多いそうだ。学校だとか公園とか。民間はそりゃ幾ら安くても買わないよねぇ。学校や公園での幽霊話が多いのはそういう経緯もあるのだろう。


2015-07-06-02


回向院には上のように史跡コーナーがあり、ここに歴史上有名な人々の墓が集められている。これが昔からなのかどうか知る術はないが、何か博物館の展示を見ているようで、恐らくどの墓も納骨はされていないんじゃなかろうか?。

回向院入り口に立っていた荒川区の回向院の解説板には「吉田松陰らが葬られている」と書かれているが、「葬る」ってイコール亡骸の埋葬でしょう?。失礼だが、この時点で他のお墓も単なる供養塔だろう、そう思わざるを得ない。


2015-07-06-03


だいたい吉田松陰が葬られているとされている場所に何故徳川の紋が?。普通はあり得ない。どうやらここは徳川家の馬の埋葬地でもあったようだが、それでも徳川側から斬首された者の墓と同じ場所にあるってのは解せない。時に馬頭観音のようなものは無かったような気がする。両国の回向院にはたいそう立派な馬頭観音のお堂があるとの事。

そして下が吉田松陰の墓。


2015-07-06-04


ビックリしたのが次の写真。なんと鼠小僧の墓である。これも納骨されているのか何とも言えないが、両国の回向院は首塚、この南千住のは胴塚と呼ばれているらしい。そしてどちらの墓も「長く捕まらなかった」との事で、それにあやかろうと今も尚、墓石を削る人が耐えないそうな。南千住の墓石は新しいものだが、何代目の墓石なのだろう。


2015-07-06-05


異様だったのが下。腕の喜三郎の墓。どなた?。犯罪者だから腕っ節の強かったヤクザ者かなと思って調べてみると、、、

腕の喜三郎 - wikipedia


2015-07-06-06


本当なら凄い人だ!。昔、ユル・ブリンナーの映画がテレビで放映されていて、確かマッドマックスのような内容だったのかな。

最後の最後に穴に転落するのを避ける為に自分の手首を切り落とすシーンがあった。悪人と手錠で繋がれていて、悪人が穴に落ち、自分も落ちそうだからと斧でパツン!、悪人は奈落の底へ・・・。

しかも止血する為に切り口を焼くんだぜ。ガキンチョだったものだからそれがある期間ずっと脳裏に残っていて気持ち悪かったなぁ。そして最近は渡辺謙を見るとこのシーンを思い出す。渡辺謙、王様と私、ユル・ブリンナー、手首。

※今思えば、自分の手首を切るのでなく、悪人の手首を切りゃ良かったのではないのか?(笑)、そこが映画なんだろうなぁ~

確か夏休みだったんだ。昔は夏休みになると昼間から映画放映をしており、同時期に四谷怪談のお岩さんも見ちゃって、まぁ・・・。子供向けのお化け映画じゃないの。ドロドロした人間模様を描いた大人向けの四谷怪談、これは怖かったねぇ、未だに幾つかのシーンを覚えているから・・・。

そして高橋お伝のお墓・・・。


2015-07-06-07


明治初期に強盗殺人で斬首刑に処された女性との事。女性で斬首だから、今で言う連続保険金殺人の主犯みたいな鬼女かと思ったら、殺害したのは一人。表現が悪いが極普通の犯罪人・・・。

このお伝は市谷の刑場で斬首されたそうで、一説によると壮絶な死だったらしい。死の間際、暴れ出したので首切り人が失敗して何度も刃を下ろしたそうで・・・。三島由紀夫もそうだったと何かの文献で読んだ気がする、暴れたのではなく単なる介錯の失敗?・・・。

最後に、歴史の教科書で見たような図、解体新書の表紙になったものかな?。


2015-07-06-08



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