にほんブログ村 写真ブログ デジタル写真へ
にほんブログ村のランキングに参加中です

山谷をちょっと散策

2015年07月22日 00:00

インパクトあるっしょ?

インパクトあるっしょ?

Nikon D90, Nikkor 16-85mmF3.5-5.6

※ブログに視覚要素を加えるlightboxを導入しています。上記画像をクリックすると少し大きな画像をポップアップして見る事が出来、暗くなった部分をクリックするか、画像下部のCloseをクリックすると元に戻ります。



本日、Sony α7 四方山話はお休み・・・。

かつての花街、柳橋の風景
落語、お初徳兵衛馴れ初め話の舞台を歩く
今のNHK大河って視聴率悪いんだって?

これは全て同じ日のお散歩日記。そしてこの日はもう1つ、目玉があったんだ。




吉原から南千住にある小塚原刑場跡に向かうのなら、通り道・・・、と言うよりも吉原の通りを挟んだ北東一帯を一般に山谷地区と呼ばれており、大通りをテクテク南千住まで歩いたってちっとも面白くないので、必然的にそっち方面へ流れる事になる。

山谷=あしたのジョー=ドヤ街=怖い・・・、未だにそんなイメージがあったりするが、最後にこの辺を歩いたのがフィルムカメラをやめる直前だったと記憶している。おおよそ10年くらい前だろう。少なくとも日中は極普通の下町の商店街とその周辺だった。

しかも今は時期によっては日雇い労働者よりも宿泊所、安ホテルが外国人観光客で占領されるくらいで、宿の主人が英語を覚えちゃうと言うのだから特に治安が悪いとは思わない。

女性一人でカメラを持ってうろつくにはちょっと勇気が必要かも?、まれに昼から酒をかっ食らっているいるオヤジに絡まれるかもしれないが、酔っ払いオヤジだったら浅草の方が仰山いる。

wikipediaには「また近年では治安の良さも手伝って古い建造物等を撮影するアマチュアカメラマンで賑わっている」なんて書かれているくらいなのだから。

訪れたのが休日だったのからなのか商店街は活気が無かったなぁ。シャッター通りとまでは行かないにせよ、シャッターで閉められている店舗が結構あった。

時にあしたのジョーで有名な泪橋。今回写真は撮っていないが、今、そんな橋は山谷には存在しないみたいだ。泪橋と言う交差点があるだけ。調べると南大井に浜川橋と言う橋が現存しており、そこがかつて泪橋と呼ばれていたそうだ。

ここで7月4日の記事を思い出すと「おお!、なるほど、そうなのか!」と大きな声が出てしまう。

南大井の鈴ヶ森刑場、南千住の小塚原刑場、両方の仕置き場の近くに同じ名前の泪橋。しかも橋が架かっていた川の名が前者が立会川、後者は思川。そう、処刑される罪人とその家族がここで最後の別れ、何しろ昔は処刑される罪人は墓も作れなかった、亡骸はそこらに捨てられていたと言うから永遠の別れなんだ。

南千住の地下工事で仰山骨が出てきた、これは有名な話、人骨は全て罪人だろう。勿論埋葬なんてされていない。放置だ(六道銭や数珠などもあったとの事で埋葬らしき儀式があったのかもしれない)。馬の骨を埋葬した棺も出てきたと言う。罪人は捨てられ、馬は棺?、これは徳川のお馬さんだったのだろうなぁ。

この手の事を調べるにはネットは便利なのだが、何しろ日本は発掘調査の結果などおおよそ一般に公開していない。公開していても簡単に探し出せない。

今回、運良く、、、

荒川ふるさと文化館だより 第10号 (平成15年3月31日発行)(PDF:4,299KB)
江戸遺跡研究会会報 No.91 PDF

上の2つのPDFを見つけられたが、これもかなり古いデータでしょう。その後の調査、研究に関しては荒川区の然るべき部署に問い合わせない限り一般人は知る事が出来ない。この調査は荒川区の他に大学や民俗系の博物館などの団体が複数で調査をしている筈だが、恐らく各団体が勝手に資料を作ってそのままなんだろうなぁ。1つに纏めて公開なんて作業はしていないと思う。

wikipedaとか個人のブログは誤った情報が掲載されている時もあり、事実なのか、主観、想像で書かれているのか見極める必要もあり、こういうネタを作る時はとっても大変なのだった。今日のネタなんて本来はただのお散歩写真日記として「こ~んな場所に行ったよ~」ってだけなら30分で終わる。

でも1つ調べ始めるとあっちのサイト、こっちのサイトと辿り、それが真実なのか嘘なのかを判断しながら書く事になり、結果、1時間以上掛かってしまう。

上のPDFを見ていなかったらきっと「刑場で仕置きされた罪人は埋葬もされずにただ捨てられていた」と書くようになろうが、数珠や六道銭が発掘された事実を考慮するとそれは嘘とまでは言い切れないものの正しい情報でもないんだ。

近頃はビッグデータとかオープンデータなんて言葉が流行っているようだが、行政や博物館、民族館が個々に持っているデータを共有する、一般公開するシステム、データベースなんて日本だと必ず権利問題で、少なくとも当分は実現しないと思う。

インターネットってのは万能じゃないんだなぁ。本気で様々な(真実の)データを活用しようと思えば結局は金が掛かる。良く海外のアクション系のドラマで主人公が逃避行をしながら携帯端末、検索エンジンから情報を得て、それを元に物語が進行して行くが、少なくとも日本ではあり得ないだろう。有用で真実のデータをGoogleで探している間にGPSで場所を特定され、悪党に捕まってしまう。

過去の新聞から事件の経緯を得る、そんな内容の推理小説があったとする。昔なら図書館へ行ってマイクロフィルムに写された新聞を片っ端から見て行くシーンが盛り込まれるが、今ならきっとiPadなんかを利用して検索するシーンを作るだろう。でも主人公がその手のサイトの有料会員になっていない限り、過去の新聞データなんて見られない訳。

いきなり事件の渦中に巻き込まれた主人公が「幸いにも俺はニフティの新聞データーベースの会員になっているんだ!、よし、この事件の発端となった50年前の新聞を片っ端から検索するぜ!」なんてあり得ないでしょう(笑)。そんなご都合主義の小説だったら馬鹿馬鹿しくて読むのをやめちゃう。

勿論、日本にも学術的な論文などの無料検索サービスがあるが、ほとんどが目録が表示され、どこの大学、図書館で閲覧出来ますよなる情報しかない。各新聞社のデータベースも同じ。検索するまでは無料だが、詳細を見ようと思うと料金が発生する。結局、地域の図書館で一般図書を閲覧し、それでも足りなかったら大学の図書館へ行って調べるのが最短だ。

そんなこんなで山谷のお散歩写真を・・・。

明治通りに立っている

2015-07-22-02


上の写真、先の横断歩道のある交差点が吉原大門、そして自分が立っているところが山谷の商店街である「いろは会ショップメイト」の明治通り側の入り口。次の写真がその入り口だ。

いろは会ショップメイト

2015-07-22-03


あしたのジョー尽くし

2015-07-22-04


なんかデジャブー?。あっ、そうだ、以前、2013年7月12日の記事で訪れた「高橋のらくろ~ド/高橋商店街」とイメージがダブっていたんだな。

商店街の模様

2015-07-22-05


山谷と言うと「怖い」、そんなイメージがあるが、冒頭に書いた通り極々普通の商店街だ。パッと見、三分の一以上のお店が閉まっている。日曜日に休日って事はありえないので店を畳まれているのだろう。とは言えまだまだ商店街の形態はなんとか保っている。

山谷らしいと言えば下。

飲み会の跡

2015-07-22-06


ペプシのシールが目に付くが、注目するのはそこじゃなく、左下のカップ酒類。いつからここに放置されているか知る術は無いが、これが片付けられていない、商店街として管理が滞っているのも事実。シャッター通りと化すとほとんどの商店街はこうなってしまう。営業中の商店も隣までは掃除しても数軒先までは知ったこっちゃないのだ。

そして何のポスターだか判らないが、こういうのも町の活性化を図るのなら剥がすべきだろう。勿論、昭和大好き、ボロ屋大歓迎、汚いもの最高!、そんな私のようなカメラマンには最高の被写体ではあるのだが・・・(笑)。

かなり不気味

2015-07-22-07


本当はこの商店街を中心に路地と言う路地を片っ端から歩こうと思っていたのだが、この後、7月4日の記事の通り、小塚原刑場跡と訪れる予定があったので断念。

つまりこの日のお散歩写真は・・・。

浅草橋~柳橋~大桟橋~山谷掘~吉原大門~いろは会商店街~小塚原刑場跡、そんなルートだったんだ。地図で見ると結構歩いているように思えるが、このルートを寄り道せずに歩けばせいぜい6キロ程度の距離しかない。

小説「剣客商売」の秋山小兵衛は鐘ヶ淵に住んでいた。そして息子大治郎の道場は白髭橋近く。テレビドラマでは大治郎はいつも船で大川(隅田川)を遡って父親に会いに行っていたのでさぞかし遠かろうと思うが、実際はたった数キロしか離れていない。大治郎くらいの若者なら1時間くらいの距離だろう。

また小兵衛の嫁であるおはるの実家は関谷村とされていて、小兵衛の命が狙われておはるにまで危険が及び実家に非難させる、そんなパターンで描かれる事が多く、調べるまではかなりの遠方と思いきや(勝手に千葉県だと思っていた)、判り易く説明すると恐らく堀切周辺。要するに金八先生のロケ地辺りで鐘ヶ淵からは1キロしか離れていないそうな。その程度の距離だったらバレるだろ!、と突っ込みを入れたくなる(笑)。

東京、江戸城の東側、いわゆる下町と呼ばれるエリアは結構狭い。ちなみに調べてみたところ柳橋から大川を上って山谷掘まで猪牙船を使うと148文だったそうだ(いつの時代の価値かは不明)。今の価値に計算すると3千円程度。六本木から銀座へタクシーを使うよりも高い。

また吉原は今でも高級ソープランドが仰山あるが、江戸時代、花魁は別にして、いわゆる店先で女の選択するなんて場合は一分(約2万円)だったそうな。これも今と対して変わりはないのかな?(笑)。しかし岡場所の女達ともなれば数千円で遊べ、夜鷹となるともっと安い。当時の一般庶民の年収(江戸時代末期)は150万もなかったそうで、吉原遊びはやはり贅沢だったのだろう。

「鬼平犯科帳」の平蔵の部下であるうさ忠こと木村忠吾は谷中の岡場所に通っていた。給料は30俵2人扶持とあり、換算で年間100万円に満たないみたいだ。そりゃぁ吉原には行けない。小説では火付盗賊改の役宅は清水門外となっており、どこだろうと調べると武道館の辺りと思えば良いみたい。ならばそこから谷中まで一里。歩いて1時間でしかない。ワクワク度がマックスになる頃に岡場所に付く算段だ(笑)。

デジタルカメラでお散歩写真を始めてもう7年くらい?。普通に歩いているだけだとつまらん時があるんだ。今度はうさ忠が谷中の岡場所へ通う、これを妄想して武道館から谷中までを歩いてみるかな(笑)。

途中で蕎麦屋へ寄ったり、そこで人相書きと類似する人物を見つけて、谷中へ行く筈が神田明神へ・・・、そうやって妄想を膨らませていくのが楽しい。


にほんブログ村 写真ブログ デジタル写真へ
にほんブログ村のランキングに参加中です



コメント

  1. ハッセルじいちゃん | URL | lalX43Vc

    山谷ってスナップにこと欠かせない街ですね。
    TOPな何ですかね。 ¥100で動きそうな気もしますが、くたびれ具合も最高ですね。
    あの「かなり不気味」も好みです~

    ある意味 東京の方が勝ってますね~ (笑

  2. のっぽ親父 | URL | ibdEl2N.

    1枚目インパクトありすぎです。(笑)ビックリ。。笑いながら噛みつきそう。

    残念なことに山谷は行ったことがありません。横浜時代は寿町などのドヤ街 チョピリ雰囲気怖いところは沢山出かけましたが昼夜で全く違う街ですね。昼の山谷 ちょっぴり退廃さが滲んでて好きな写真です。

  3. BigDaddy | URL | -

    > ハッセルじいちゃん さん

    ああ、値段は見ていないです~。見ておけば良かったですねぇ。2011年に別の場所ですが、昭和のこの手の年季の入った子供用遊具で20円ってのがありましたよ(笑)。今でもあるでしょうかね。今度再訪してみようと思います。「かなり不気味」、ホントに不気味でした。夜に見たらかなり怖いだろうなぁと(笑)。

  4. BigDaddy | URL | -

    > のっぽ親父 さん

    最近はこの手の乗り物遊具は見掛けませんが、見掛けると大概はインパクトがありますよ。片腕がもぎ取られたウルトラマン系の遊具とか(笑)。

    寿町もドヤ街ですよね。フィルム時代に訪れたようなないような・・・。この手のドヤ街や色街って昼は意外とすんなり歩けるんですが、夜は怖い場所も今でもありそうですね。

    この散歩では山谷で費やした時間は1時間も無く、いずれもうちょっと探索したいと思っています。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)