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フィルム時代をふと思い出した

2016年04月17日 00:00

日暮れ

日暮れ

Contax AX, Planar 50mmF1.4

※ブログに視覚要素を加えるlightboxを導入しています。上記画像をクリックすると少し大きな画像をポップアップして見る事が出来、暗くなった部分をクリックするか、画像下部のCloseをクリックすると元に戻ります。



赤城耕一と言う写真家がいる。3月末時点で半年以上も氏のブログが更新されていないので、「あっ、もしや病気か何かで・・・」と思って近況を調べていたらツイッターは頻繁にやられているようで、ああ、単にブログ更新を怠っていただけなんだと・・・。

ネタに入る前に・・・。「俺、こういう人、苦手なんだよなぁ」と言うお話を・・・。

プロカメラマンの失態

上の記事、一時期一部のカメラマンの中で話題になった中井カメラマン草刈事件について思う事を書いた。これに数日前にコメントを付けてきた人がいた。うん?、この人って俺の記事にケチつけているのか?。そして2度目、3度目の書き込みを見て「あぁ、己を正論だと信じ、明らかに俺に喧嘩を売っているな」・・・。

政治家等の発言の一部だけを切り取ってあーだこーだとネタにするテレビのニュースと同じで、一部の表現だけを見て、難癖を付ける人ってたまにいるんだ。ちゃんと本文を全て読めば何を言わんとしているか理解出来ると思うのだが・・・。行間を含めて読んでいない気がしてならない。

うちのブログ、何故こんな長文?、本当は短文で行間を読ませる、それが最も美しい文章、少ない表現で含みを持たせ、読む側にそこに入り込む余地を与える、それは判っている。でもこういう行間を読めない奴らが今は多く、その手のトンチンカンなコメントが面倒臭いからくどいのは承知で全部を説明するようになった。だから長くなるんだ(笑)。

何度も本ブログで書いている通り、聖人君子じゃない。50キロ道路を流れに沿えば70キロで走るし、近道をするんで団地の私道を歩くし、田んぼのあぜ道も散歩する・・・、そう、世の中グレーゾーンが必ずある。そのグレーゾーンをどこまで認めるべきだろうか?、難しいよね~、そんな主旨。

本ブログのモットーは、、、

「居酒屋でくだを巻いているカメラ、写真好きのオッサンの会話」であり、皆さんは「同じ席で酒を飲んでいる写真仲間」な訳。

「草刈事件どう思う?、微妙だよね、今回はアウトだけどグレーゾーンってのは確かに存在する」と話し始めたら、そこに聖人君子が現れて喧嘩腰で潔癖過ぎる正論を叩き付けて来る。「何おまえ、神様かよ!?」ってなるし、「そんな誰が考えても当たり前の話を鼻を膨らましてさも自分が正しいなんて面で言うなよ、ショッペェ奴だなぁ~」となるでしょう。ホント、こういう奴、嫌い。大嫌い。

上の記事で、、、

”そもそも「写真を撮影する」、この行為は今も昔も、「どんな被写体であっても、誰かに迷惑を掛ける可能性がある」、これを各自が強く認識していないとならないだろう。”

と書いている。まさにココ。そして大半のカメラマンはこれを励行している。グレーゾーンの中でなんとかやりくりをしている。

真岡鉄道の件、グレーゾーンを明らかに超えた悪質過ぎる輩がいたからあんな異例な発言をしたんでしょう?。あれは天晴れだと思う。

中井カメラマンは突然ある場所を訪れて草刈をしたんじゃないのだろう。恐らく何年もそこに通い、土地所有者とも知り合いになりツーカーの仲だった筈。それでの草刈ならグレーゾーン内だからオーケー。でもアマチュアカメラマンを炊きつけるような記事を書き、当初は白を切っていたそうだから「一線を超えちゃったね、アウト!」、だからあの記事を書いた。

人それぞれ常識が異なるのでグレーゾーンの幅も当たり前に違ってくる。私がセーフだと思っていても他人が見たらアウト。でもこれを言っちゃおしまいなの。それぞれ「個」なんだ。主観に基づいて人生を送っている。

個々の常識は場合には非常識、それで当事者が困り果てたら真岡鉄道のように行動を起こせば良い。真岡鉄道も鉄っちゃん来るな!、とは言っていないでしょう?。facebookには「模範的な撮影スポットになるよう、関係各所と協議しながら安全かつトラブルが起こらない真岡鐵道目指し取り組んでまいります」と書いているからグレーゾーンを排除した訳じゃないと思う。

先日の新宿ゴールデン街の火事。あそこは違法建築の巣窟だそうだから近隣にお住まいの方は「いつかは火事に・・・」と思っていたろう。でも彼らには申し訳ないが、お客としてのあそこは昭和を感じられて非常に魅力的な路地。むしろ違法建築でごちゃごちゃしているから素敵な路地なんだ。

人ってそうなの。それはしょ~がない。「あそこは違法建築だから客として行くべきではない!、あそこで営業させちゃいけないんだ!、警察と消防を呼んで違法建築を徹底的に排除せよ!」なんて決して言えない。

原因がなんであれあんな火事を出した事により、今まで緩かった、幅が広かったグレーゾーンが今後は狭まるかもしれない。それは致し方ない。でもいきなり「違法建築で危険だからゴールデン街を潰そう!」とはならないでしょう?。なんとか昭和の風情を残しつつ、今以上に安全な街作りを目指そうと考えるんでしょう?。

世の中にグレーゾーンがないと思っている人、0と1でしか物事を語れない人、自分はグレーゾーンすらも踏み込まない聖人君子ぶっている人、とっても苦手。苦手を通り越して生理的に受け付けない。

と言う事で本題へ。

その赤城氏がツイッターで、、、

「デジタルカメラだと70コマなどあっという間に撮りきるのにハーフサイズのフィルムカメラだと苦痛なほど枚数が多く感じるのは謎。ちなみに35mm判の36枚だとこれもすぐに終わる感じがすることも謎。自動巻き上げ有無とも話が違うような。 」

と呟かれていた。確かにそうだったのだろう。記録、記念写真しか撮らないような場合、ハーフサイズのカメラにフィルムを入れると1年入れっ放し・・・、なんてざらにあったと思う。それほどに昔は写真を撮る行為自体が非日常だった。

私も写真が趣味じゃなかった頃、カメラを使うのは旅行などのイベントだけ。1年で何度旅行に出掛けるかにもよるが、1年でフィルムを20本も消費したら「今年は良く旅行に出掛けたなぁ」と感じていた筈だ。

昔はカメラなんて代物はお父さんがカメラマニアでない限り一家に一台。子供時代、うちにどんなカメラが幾つあったか全く覚えていないが、最初に己の意思で写真を撮った際のカメラはハーフサイズだった、これは記憶にあるんだ。

記憶が正しいのならその写真はスーパーカー。1970年代半ばのスーカーカーブームで東京は晴海だったかなぁ、国際見本市に国内外のスーパーカーが集結した。その写真を撮りたいが為に親からカメラを借りた。

初めて一からカメラをセットする。フィルム装填、撮影、フィルム巻上げ、フィルム巻取り・・・。子供ながらに一番不安だったのが正しくフィルムが装填されているか否か。そうでなかったらせっかくパチパチしたのに写っていないんだから・・・。

多分カメラがハーフサイズで通常の倍も撮れるのを知らされていなかったんだと思う。何しろフィルムが終わる筈のカウントからもどんどんフィルムが巻き上がる。多分36枚撮りを装填していたのだろうな、何枚撮っても巻き上げられるから子供ながら大いに焦った。

結果は上々、現像から上がってきてプリントされた写真は見事に美しく写っていたのだが・・・。

先に「記憶が正しいのなら」と書いた。と言うのもスーパーカーブームで晴海にそれらが集結したのは1977年との事。この時代にハーフサイズのカメラはほぼ淘汰されていた筈なんだ。

wikiで調べてみるとほとんどのハーフサイズカメラは1960年代。1977年前後のハーフサイズは3機種しかない。そのうちRicohのオートハーフは絶対に違う。あんなカメラだったら覚えている筈だからだ。使っていたのはおわゆるお弁当箱タイプでレンズ一体型のレンジファインダーカメラ。

Olympus PEN-EE3、これは1973年にお弁当箱タイプだが、パンフォーカスタイプとの事で違う気がする。ちゃんと二重像合致式ファインダーでピントを合わせていた記憶があるからだ。

となると該当するカメラがない。勿論、1960年代に発売されたカメラを親がずっと大切に使っていた可能性もあるが、今となっては謎でしかない。

まぁ子供の頃の記憶って曖昧でどれが真実だか良く判らない。勘違いして記憶している事も多々あるからだ。法事にて数年振りに親族が大勢集まって過去の話になった。こういう時、必ず親の世代が我々子供達の幼少期時代の話で盛り上がる。

そこで交わされた内容は結構ビックリする。自分の記憶と異なるんだ(笑)。うちの親だけがそう話しているのなら親の勘違いもあろうが、親戚一同が同じ記憶を持っているから、多勢に無勢ではないが、私の記憶が間違っているのだろう。

となると、スーパーカーを晴海で撮影したのは間違いないが、それが初めての写真撮影だったか、そしてハーフサイズのカメラだったか・・・、これらの記憶もかなり怪しい。

悪の組織により記憶をすり替えられた主人公の孤独な戦いと葛藤・・・、SF映画、SF小説の素材としてはメジャー級。でもこんなのはSFでもなんでもなく日常茶飯事なのだろう。脳内の悪の組織が都合の悪い過去をなかった事にするに違いない。

とは言え、スーパーカーの写真を撮る行為は都合の悪い過去でもなく精神的に苦痛だった筈もない。はっ!、もしかしたら真実はやはりフィルムの装填ミスを犯し、1枚も撮れていなかったのか?。それを恥じ、一生の不覚とし、その苦痛から逃れる為に記憶をすり替えたのか?。

とにかく40枚、50枚とフィルムを巻き上げられるから慌てふためいたのは覚えているので、どこかで、何かの撮影でハーフサイズカメラを使ったのは確かなんだ。

その後に使ったカメラは覚えている。この記憶は100%正しい。何しろそのカメラをほんの数年前まで持っていたのだから。それがOlympus XA。Olympus小型路線の始祖とも言えるカメラ。

ところがある日、シャッターボタンが反応しなくなったのと露出計の針が動作しなくなった。寿命である。もし故障していなければ今も大切に保管していたろうが、壊れて使い物にならないカメラを思い出だけの為に取っておく感傷的な人間ではないので結局廃棄した。

本日の写真。内容が内容だけにスーパーカーの写真を掲載したかったが、そんなもの実家のどこにあるかも見当が付かない・・・。

この写真は良く覚えている。東京は京島で昭和風景を撮影した帰り、ファミレスで休憩していた時のガラス越しの風景。フィルムはKodak Elitechrome EBX。ISO100なので絞り開放か一段絞ったF2で撮影している。

何故カメラやレンズを覚えているか?。それはこの頃、Contax AXを手に入れたばかりでほとんどの撮影でAXを使っていたんだ。何しろMFレンズがAFになってくれるんだから楽でしょ~がなかった。当時、Conataxを使ったお散歩写真では50mmと85mmを多用していたが、日暮れの風景をISO100のフィルムで撮っているのだから85mmはあり得ない。


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コメント

  1. tsunomagari | URL | -

    過去記事も拝見しました。
    災難でしたね。
    私なんて街と人物のスナップ写真ですから何言われるか分からないですね(笑)

    フィルムのお話、自分の記憶を辿ってみると親父の蛇腹式の中判カメラを思い出します。戦後、板付の米軍基地あたりまで買いに行ったらしいのですが、私が子供の頃は既に135が主流であり、うちの田舎では中々フィルムが手に入らず、我が家の80年代の写真は皆無です。それでもたまに街に行った時にフィルムを買って来てました。その時の記憶なのですが、いつも120のスプールをナイフで削って装填していました。本来のフィルム規格は何だったのか気になって、帰省の度にあのカメラ頂戴と言うのですが、どこにしまったかなぁと手に入れられていません。果たして120だったのかどうか私の記憶も曖昧なまま今に至っています。
    でも初めてそのカメラで撮った写真は今でも覚えています。

  2. ピンぼけ小僧 | URL | EBUSheBA

     私が初めて本格的に写真を撮った中学の修学旅行、Olympus PEN-EES2でした。
    そして使用したフイルムはモノクロの36枚撮り、帰ってきてプリントした時枚数が多っかたという記憶があります。まあ、ハーフ版ですからね。 
     高校に進学してからメインはミノルタの一眼レフ(SRT101)を使用して、サブカメラとしてPEN-EES2を使ってました。後にPEN-EES2のフルサイズ版オリンパストリップ35をどこかの商品券で貰いしばらく使っていました。
     高校の写真部の部室にコンテストで貰った富士フイルムのハーフ版専用の引伸機がありました。遠足などの記録的スナップはこの引伸機でプリントしてました。
     ヤシカの二眼レフが家にはあって時々使用していました、これはまだ我が家に現存していて使用できます。
     ゴールデン街は馴染みのお店があり、今週も行ってきました。今回焼けたお店は建て替えが出来ないので燃え残った柱や外装をそのまま利用した改築という形で再建されます。あと、ゴールデン街はバブル以後でも4回ほど火災があったそうです。

  3. A5 | URL | aghZHWKs

    昔実家に有ったカメラといえば、
    コニカ(小西六)の型番は覚えてませんが、
    レンジファインダー式(ちゃんと二重照合)のレンズ一体化カメラ(決してコンパクトではない)
    たしか55mmf2.2位だったと思う。

    そのカメラは祖父から母親に譲られたものらしいです。
    なので製造は50年代かも知れませんね。
    皮製のケースにフィルターが付属していて、
    黄色や赤、緑のフィルターがありました。
    当時は何に使うか意味が解らなかったのですが 
    後にモノクロフィルム用と知りました。

    そのカメラもレンズシャッターが壊れそれっきりでした。
    初めて使ったカメラでした。

  4. taka | URL | -

    真岡鐵道の件、北海道美瑛町の「哲学の木」と同じですね。
    ハーフサイズのオリンパスPEN、わたしは中学の修学旅行に持って行きました。36枚撮りを入れるといつまでも入ってましたね。本日の写真の色、ムード(おじんくさい言葉です)ある暮色ですねぇ。

  5. BigDaddy | URL | -

    > tsunomagari さん

    人物スナップは目を付けられたら大変そうですね。人が迷惑だって思わないのか!、とか平気でコメントしそうで・・・。自分と少しでも思考が違っていたら戦わないと気が済まない人っているんですよね。私もそれに近い人間ですが、他所様のブログに出向いてまで歯を剥くなんてあほらしくて(笑)。

    120を削ってですか!。凄いですねぇ。そういう記憶って本当に曖昧なんですよね。記憶を何度も掘り起こしても他の記憶を混じっててんで判らなくなったり・・・。ちょっと調べてみたところ、これって127フィルムって言う奴ですかね。色々とサイトを見ていると120を削って127にしているとか出てきました。

  6. BigDaddy | URL | -

    > ピンぼけ小僧 さん

    MinoltaのSRT-101はフィルム時代の知り合いで最初のカメラだった人が何人かいたような記憶があります。私はMinoltaには全く縁が無くて宮崎美子のX-7にも食いつかなかった人間です。と言うよりもまだその頃は写真熱がなかったもので・・・。CMと言えばキャンディス・バーゲンがカメラのCMをやっていたのはなんとなく覚えていてそれがCanonだと思っていたらMinolta XDでしたね(笑)。

    ゴールデン街、今までも火事があったのですか。まぁそうでしょうねぇ、バブルの頃だったら地上げでの火付けもありえますかね。
    これから改築だと全ての法律を守る必要がありそうですね。でもきっとそれっぽく昭和の風情を残してくれると思っています。今、写真を撮りに行くと失礼なので周辺が再開したら一度行こうかなぁ。

  7. BigDaddy | URL | -

    > A5 さん

    お弁当箱タイプのレンジファインダーって多く35~45mmくらいだったので多分、モダン(お弁当箱)形になる以前のLeicaバルナックっぽいデザインの頃のカメラだと思います。型番とか覚えておいででしたら、同じカメラを買って撮ったり、飾ったりとノスタルジックな遊びが出来るのですがね。私も本文の通り、最初のカメラの記憶が全くないもので(笑)。

    ああ!、私も最初、原色のフィルターを見て「なんじゃこれ?」って思っていました。当時、折り紙で似たようなセロファンのがあって、それを通したような絵になる訳でポッカ~ンでしたよ(笑)。ぶっちゃけ子供ながらエロ写真を撮る時に使うものかなぁとか妄想していました。

  8. BigDaddy | URL | -

    > taka さん

    哲学の木ってこの前切られちゃったんですよね。色々と噂があって老木で危険だから切ったとか、それは上辺の理由でやっぱり土地所有者がカメラマンに怒り狂ったとか・・・。

    あそこらの話題をネタにしたらまた変な奴がコメントつけてくるんでしょうねぇ(笑)。もう美瑛に関しては触らぬ神に祟りなし・・・(笑)。

    皆さん凄いですね。中学の時からカメラをお使いだったんですね。でもPENハーフだとサイズも含め修学旅行では丁度良かったのかもしれませんね。ちゃんとした集合写真は教師や帯同のカメラマンが撮ってくれたりしますので本当にスナップですもんね。

    ムード(笑)、ありがとうございます。いやいや、私は今でもムードと言う言葉は使いますよ!。

  9. auf | URL | 3eyVfeeo

    子供のころ家にあったカメラはヤシカハーフ17でした.家族は皆あまり
    写真撮らなかった記憶が.親戚の家に行くとリコーオートハーフがあって
    へぇ~変わったカメラだなと思いました.

    ハーフサイズでレンジファインダーって,たぶん国産機では存在しないと
    思います.BigDaddyさんの記憶が何かと入れ替わったのかな.

    tsunomagariさんのカメラはたぶんKodakで620フィルム用だったと推測し
    ます.620はコダックの規格で120とほぼ同じなのですがスプールのツ
    バが小さいのです.120フィルムのツバを削ってなんとか入る場合もあり
    ます.120フィルムはフォクトレンダーの規格でコダックは負けてしまっ
    たのです.



  10. BigDaddy | URL | -

    > auf さん

    皆さんのコメントを拝見するとハーフカメラって結構使われていたんですね。あとふと思ったんですが、デジカメと違い、フィルムカメラで数年で捨てるものでなく10年くらいは使われていたでしょうから、私の初カメラがハーフサイズ、この記憶が間違い出ない気もしてきました。

    オートハーフ、今では程度良ではそこそこのプレミアが付いているようですね。以前オートハーフSEを所持しており、あのゼンマイ仕掛けには驚きました。あるカメラ屋に売ろうとしたら引き取らないと言われたんですが、ちょうどその時に居合わせたハーフサイズカメラマニアさんに路上で売買したんです(笑)。

    620フィルム、なるほどそんなのがあったんですね。そうかもしれませんね。

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