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「フラガール」を観てフラッと産業遺構探索 その3 みろく沢炭鉱資料館

2016年07月26日 00:00

石炭層

石炭層

Sony α6000, EPZ16-50mmF3.5-5.6

※ブログに視覚要素を加えるlightboxを導入しています。上記画像をクリックすると少し大きな画像をポップアップして見る事が出来、暗くなった部分をクリックするか、画像下部のCloseをクリックすると元に戻ります。



前回からの続き。今回は「 みろく沢炭鉱資料館」について述べたい。

ガイドさんに「どのような主旨で巡られますか?」と尋ねられた。それによって紹介する場所が異なってくるらしい。素直に「昭和の名残り、廃墟、産業遺構が好き」と答える。「銅像とかオブジェとかは?」、「全く興味ない」・・・、この段階でおおよそのスケジュールは決定した。

とは言っても廃墟写真だけの為にガイドをする、それはいわきヘリテージツーリズム協議会としては本意ではないのは当然。産業遺構を中心に当時の歴史、文化を伝え、いわき市、北茨城市周辺の観光による発展を望むのがこの団体の主旨であり「みろく沢炭鉱資料館」をスタート地点とした。

みろく沢炭鉱資料館は元炭鉱関係者が「個人」で炭鉱の歴史、文化を伝える為に開いた施設であり(無料)、また周辺は江戸時代末期、石炭発掘の地でもあり、ここから常磐炭田の歴史が始まったそうだ。

みろく沢炭鉱資料館の主は御年90歳、人生の先輩の経験談を伺いながら石炭層や当時の石炭用トロッコを模倣した運転(簡単に言えばディーゼルエンジンを利用したケーブルカーのような設備)も披露して頂いた。

みろく沢周辺はさすが常磐炭田発祥の地、今でも地表に石炭層が見られる。それがトップ写真。地層が歪んでいるでしょう?。この傾斜の為、湯本や内郷辺りに行くと石炭層が地下700メートル辺りになるそうだ。温泉が噴出す地下700メートルの作業、湿度100パーセント、それはそれは大変だったに違いない。

おしっこや大をしたくなっても確か1日8時間勤務だったとの事でわざわざ地上に出る訳には行かないし、飯だって地下700メートル、湿度100パーセントの場所で食べねばならないのだから・・・。当時だから当たり前?、いや、どうもそうではないようで、当時でも過酷な労働を強いられていたようで、だから高給だったそうな。

御年90歳のみろく沢炭鉱資料館の主も元々は地上でのトロッコ運転手をしていたそうだ。しかし炭鉱夫との給料の差は歴然、彼らの給料袋を見て己も穴に潜ろうと決意されたそうだ。

炭鉱山神社

炭鉱山神社


この炭鉱山神社は「跡」、今、神様はいらっしゃらない。つまり閉山した瞬間、炭鉱の守り神は不要となり、各炭鉱にある神社は合祀されていったそうだ。

本当は神社の本殿があった場所まで登りたかったところだが、時間に追われていたのと、この1週間前、例によってまた腰を痛めてしまい、座薬をぶち込んでの撮影だったので極力無理をしない方針で断念。


当時を模倣したトロッコ引き上げ用エンジン

当時を模倣したトロッコ引き上げ用エンジン


当時を模倣したトロッコやレール

当時を模倣したトロッコやレール


上のトロッコ操作のエンジンやトロッコなどはみろく沢炭鉱資料館主の自作だそうだ。エンジンは実際にはもうちょっと大きかったらしい。このトロッコ操作用エンジンが坑口にあったのだろう。無線とか電話ではなく、当時は電鈴によって下からの指示で連なるトロッコを引き上げていたそうだ。ベル1回で何がし、2回で何がし・・・。

びっくりしたのがこんな小さなエンジンなのに音が馬鹿でかい。単気筒の単車のマフラーを取り払ったような爆音と言えば良かろうか?。館主がいきなりなんの前触れも無くエンジンを始動させたからまぁビックリ。草刈機のような高周波なブーンと言う音ではなく低周波で耳、脳に響く音。突然目の前に暴走族が現れたような音量(笑)。

石炭を掘る作業は3交代制で休まず24時間続けられていたそうだから、昼夜関わらず、このトロッコ引き上げ用エンジンが唸りを上げていたのだ。坑口近くに住まいは無かったとは思うが、それでも近くには事務方の建物や休憩所などの施設があったろうし、さぞ煩かった事だろう。

鉱山住宅跡

鉱山住宅跡


そのトロッコ実演レールの横にかつての鉱山住宅跡が残されている。完全な廃屋であるが、こうやって保存されているのは良い。

ただ中は納屋状態と化しており、当時の生活を見出せなかったのが残念だ。まぁ個人でこうやって資料館を作っているのだからそこまで求めるのは酷と言うもの。

資料館の屋根

資料館の屋根


資料館の中は当時使われていた道具などが展示されている。上写真、資料館の屋根を写したものだが、屋根の素材、お判りだろうか?。これは「紙」だそうだ。その紙に「タール」を湿布しているだけ。これで雨に耐えられると言うのだから、当時の生活知恵って凄い。

確か足尾にもそんな屋根があったような記憶がある。そしてこの手法はなんと、今でも緊急時の保守、保全などに至るところで幅広く、当たり前に使われているらしい。

最後の写真はガスカンテラ。ガスライターと同じ原理との事。これに反射板を取り付けて辺りを照らしていた訳だ。


資料館内部

資料館内部1


資料館内部2


資料館内部3


資料館内部4



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コメント

  1. tsunomagari | URL | -

    まず元炭鉱関係者が「個人」で開いた施設ということが凄いですね。

    また、過酷な労働環境とは言え、給料は出していたという話が面白いですね。
    最近、きついけど、給料がいいって話はあまり聞きませんし、安く使える人間を探してる会社がほとんどですから。
    紙の屋根にタールってのも人間の知恵ですね。
    北部九州も炭鉱が多ったようですが、あまりガラが良かったって話は聞かないので、そちらはどうなんでしょうか?
    鉱員募集のポスターとヘルメットのお写真が印象的です。

  2. BigDaddy | URL | -

    > tsunomagari さん

    個人の館主お爺さん、お話を伺うとかなり初期から炭鉱に携わっておられるようで、その日の調子によって当時を思い出す事もあってかなり貴重な話も伺える日とかもあるそうです。

    昭和40年前後ともなると恐らく炭鉱マン以外に一般のサラリーマンもいたでしょうから、比較すればガラは悪いでしょうね(笑)。ただ、どんな世界でもそうだと思うのですがガラが悪いのは極一部なんじゃないでしょうかね。

    今回、ガイドさんからの話で、当時はやっぱり娯楽施設を仕切っている土地のやくざがいたようで揉め事もそこそこあったようです。ガイドさんからはかなりの裏話を聞いているんですが、時間がないのでそれぞれ触り部分だけ耳にした程度で、ですからもう一度、来年2月、3月くらいに、今度はしつこく当時の文化を尋ねようと思っています。

  3. tsunomagari | URL | -

    昭和40年ごろであれば、普通のサラリーマンはいますね。どこかで聞いたのですが、東大生は就職する時に一番花形の業界に就職するんだとか。そしてその後、どんどん斜陽産業になっていくらしいですね。
    だから当時は東大出の炭鉱マンもいたかもしれないですね。
    思い出話は貴重ですよ。実際に生活していた人々はドンドンいなくなって行くでしょうから。
    次回も貴重なお話が聞けると良いですね。

  4. BigDaddy | URL | -

    > tsunomagari さん

    なるほど!。恐らく事務屋、経営側として就職するのでしょうね。

    常磐炭礦は結果的に公害ブームで閉山を余儀なくされましたが温泉、ハワイアンズが成功しましたし、日立は今では超一流企業ですから(日立鉱山の機械部門が独立して日立製作所になったとの事)、もしかすると昭和30年代、40年代の東大卒達の頭脳によってかもしれませんね。

    次回、ここを尋ねる時は前もって質問状を用意しようと思います(笑)。とにかくこうやってネタを書いていて調べれば調べる程疑問だらけなんですよ~。

  5. ハッセルじいちゃん | URL | od2ryG16

    私も先日 某鉱山跡へ行ってきました。
    途中に坑道見学もできるのところがあるのですが、今回はちっぽけな集落をメインにしましたが、次回は坑道や施設もめぐりたいと思っています。(けっこう遠いのが悩みですが・・)

  6. BigDaddy | URL | -

    > ハッセルじいちゃん さん

    鉱山撮影は規模が大きいのでやっぱり1日、2日じゃとてもとてもじゃないけど無理ですよね。でも今回集落中心で正解だったと思いますよ。施設、産業遺構ともなると今の時期、草木が茂ってどうにもならんでしょうから。

    微妙なんですよね。草木が全く無かったらつまらんので真冬(雪景色は別にし)はつまらないですから草木がちょっと生え出した3月くらいがベストかと(笑)。

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