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「フラガール」を観てフラッと産業遺構探索 その5 常磐炭礦内郷礦(住吉)中央選炭工場

2016年08月05日 00:00

中央選炭工場

中央選炭工場

Sony α6000, EPZ16-50mmF3.5-5.6

※ブログに視覚要素を加えるlightboxを導入しています。上記画像をクリックすると少し大きな画像をポップアップして見る事が出来、暗くなった部分をクリックするか、画像下部のCloseをクリックすると元に戻ります。



7月30日の記事からの続き・・・。

本日の写真、大規模な産業遺構なので少し大きめの写真を掲載したい。マウスクリックで長辺1200ピクセルになるので、是非ご覧になって頂きたい。

今回ご紹介するのは常磐炭田最大の産業遺構群と言って良いだろう。ここが一般人が入れない、ガイドさん帯同でないと撮影出来ない施設、遺構だ(水中貯炭場だけは道路に面しているのでガイドさんは不要)。

今回はほぼ「いわきヘリテージ・ツーリズム協議会」が発行した小冊子を中心とした解説となる。

中央選炭工場。選ぶ炭・・・、つまり商品になる塊炭、粉炭と、石炭でない不要な石を機械的に選別する工場との事。

フラガールにて蒼井優が演じる紀美子の母、千代(富司純子)が選炭婦としてトロッコの前だかでせっせと選別していた映像を覚えておいでだろうか?。それが選炭作業、主に女性の仕事だったようだ。当時最新の選炭工場でも地下から掘り出した石を降ろす作業には人力が必要だったのだろう。

映画は昭和40年の設定(常磐ハワイアンセンター開業が昭和41年)。そして蒼井優演じる紀美子の兄、洋二朗(豊川悦司)が働いていたのが常磐炭礦の住吉(内郷)、もしくは湯本。中央選炭工場は内郷にある。そして映画冒頭で閉鎖云々の会社説明会の話になっていたのは北茨城にある中郷。

どこまでフラガールが忠実に描いていたのだろうか。千代が働いていたのは当時最先端の内郷の中央選炭工場でなく湯本の古い選炭工場だったかもしれない。

食事のシーンで千代が「天皇陛下も視察された山だから云々」と話しているシーンがあり、これは湯本の第六坑口を指している。だとすると千代一家は内郷ではなく湯本に所属していた?。でも北茨城の中郷閉鎖の会社説明会に千代は出席していたりする。

しかも中郷が閉鎖されたのは昭和46年で6年も先の話で離職者は映画での2千人ではなく100名程度だったなる文献もあり、実際には中央選炭工場のある内郷、そして湯本の方が先に閉山している。

とは言え、内郷、中郷、湯本を含むいわき市、北茨城市の多くが常磐炭礦(今の常磐興産)だからおおよそはリアルに描いているような気もする。再訪する際にはまたガイドさんをお願いする予定なので尋ねてみたい。

さて、工場や選炭婦が選別して不要になった石がズリ(もしくはボタ、地方によって呼び方が異なるらしい)を集積して出来たのがズリ山(ボタ山)と言い、常磐炭田にはこのズリ山が多く残されている。今はほとんどが草木が茂り、言われないとそれが自然の地形か人工的なズリ山かは判断出来ない。

余談だが、宿泊した宿の女将に磐崎鉱(湯本から少し内陸側にある炭鉱)の積み込み場(万石)へのルートを確認していた際、普通に「長倉の近くにズリ山があるからその辺りだったわよね」と従業員と話されていた。やはりいわき市は炭鉱の町なんだな。もし私が廃墟や遺構に興味が無かったら、ズリ山もボタ山も生涯決して口にしない言葉だろう。

この工場、昭和27年にスタートし昭和41年閉山と同時に工場も閉鎖されている。たったの14年の可動。意外と短い。近代化、合理化を進めたのは良いものの、すぐに石炭は石油に取って代わられた訳で、果たしてこれらの建設費用など、ペイ出来たのか?。

いや、出来なかったのだろう。出来ないと思っていたからこそ石炭でなく温泉に目を向け常磐ハワイアンセンター(スパリゾートハワイアンズ)で生き残りを図ったんだと思う。

常磐炭田の多くは炭に硫黄を含むとかで有害物質?、だかに認定され、まだ石炭が地中にあるのに閉鎖を余儀なくされたそうで、もしそうでなかったら昭和50年以降もある程度続いたのではあるまいか?。今でも太平洋、海の地中には石炭が埋まっているらしい。でももしそうなら常磐ハワイアンセンターは無かったかもしれず・・・。

既存を捨て近代化、合理化、これをスクラップ・アンド・ビルドと言う。

そう言えば昨年の芥川賞作品で同じタイトルがあったっけ。でも内容はタイトルとは全く異なる。作者曰くタイトルそのものにはあんまり意味はないらしい。まぁ最新医療をあえて否定する、廃棄して新たに尊厳死を認めよう、そんな内容みたいだから、なんとなく合致しているようではあるが・・・。

実はまだ読んでいない(笑)。手元にはあるんだけど・・・。
工場内部には入れない。2階へ上がる階段が撤去されているからだ。だからくれぐれもガイドさん無しで不法侵入されないように。こういうところで無理に2階へ上がろうとして怪我をするアホがいると管理している常磐興産の責任になり、結果、合法でもここへ入る事が出来なくなるからだ。足尾の二の舞だけは避けたい。

※中は機材など一切なくあっけらかんとしているらしい

残念でならなかったのがこの選炭工場の仕組みを全く理解出来なかった。当然ガイドさんは全てを知っていたろうが、私がその手の話には興味がないと思われたようで詳しく解説されなかった。こっちも撮るのに必死だったから・・・。

坑口はさらに山を登ったところにあるので、そこからどうやって掘り出した石をこの工場に運んだのか、恐らく当時はレールが敷かれていてトロッコで運んだのだろうが、選炭を含め完全自動化だったのか、選炭婦らが多くここに勤めていたいたのか?(広場にコンクリの壁があるでしょう?、ここは元々屋根があったそうだ)。さらには選炭された炭はどのように下にある水中貯炭場に運んだのか、ズリはどうやってズリ山に捨てたのか・・・。

とくかく色々と疑問があるのでフラガールの設定も含め、来年再訪した際にしっかりと伺おうと思っている。


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時に・・・。

この中央選炭工場の下にある水中貯炭場。日本初の水中貯炭場だったらしい(昭和29年)。水の中に石炭を貯める?、と思われるだろう。ガイドさんにも「どうして水中で保管すると思う?」と尋ねられた。

以前ナショジオ系の番組だったと思うが、アメリカで湖だか沼だかの中に化石が没していて、その為に保存状態が良かったなる内容を記憶していたので適当に「酸化防止?」と答えたらほぼ正解だった(笑)。

この辺りで採れた石炭はカロリーが低いらしく(硫黄なども多く含み品質が悪い)、通常の保管だとさらにカロリーが低下し、商品価値が下がってしまう。だから水の中に貯めていたそうだ。ところがこの弊害で、それを貨物列車で輸送する際、水と一緒に貨物に積むので、この辺りは常に水浸しだったらしく、黒い水を垂れ流しながら貨物が走ったと言う。

この水中貯炭場は冒頭の通り、道路沿いにあり、それだけを撮影する分にはガイドさんは不要。だからこれは翌日に回そうとその日は撮影しなかった。ところが!。8時には宿を発ち、水中貯炭場と湯本周辺の坑口を巡り、磐崎に移動、その後北茨城に入る予定だったのが、ビックリ仰天の大寝坊!。結果、水中貯炭場を含め湯本にある遺構巡りはキャンセル。

しかもだ!。磐崎の万石(石炭積み込み場)を撮影したのにその上にある選炭場を撮るのを忘れてしまったんだ。なんでそんな事になったのか、大寝坊でかなり慌ててていただけなのだが、目の前にある遺構を撮り忘れるなんてナンジャラホイ?。詳細はまた後日!。


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