にほんブログ村 写真ブログ デジタル写真へ
にほんブログ村のランキングに参加中です

「凄い」と言う言葉

2011年04月20日 00:00

カラミ堆積場

カラミ堆積場

Pentax K20D, Tamron AF18-200mmF3.5-6.3II

※ブログに視覚要素を加えるlightboxを導入しています。上記画像をクリックすると少し大きな画像をポップアップして見る事が出来、暗くなった部分をクリックするか、画像下部のCloseをクリックすると元に戻ります。また複数枚の掲載の場合、写真上の左右をクリックすると画面が遷移します。



日本語には「凄い」と言う非常に便利な言葉がある。エジプトのスフィンクスや万里の長城、ナスカの地上絵の壮大な景色を見ればこの言葉が自然に出て来るし、今回の震災の悲惨な風景を見ても「凄い」と発する。要するにこの言葉は自分が体験した事のない事項全てに使えてしまう。

これを踏まえ・・・。

今回の震災、テレビニュースを見ていると、現地に入ったレポーターからのこの「凄い」と言う言葉を良く耳にした。これは勿論「美しさ」を表しているのでなく、「未だかつて見た事の無い酷い有様」として発しているのだから「びっくりしている時に思わず口から出てしまう言葉」、それが「凄い」なる言葉になる。

昨日の記事で、ある週刊誌のグラビアで震災後の写真が掲載されており、これがドキュメント性よりもアート性が強い写真になっていると書いたが、プロであろうがアマチュアであろうが、やはりあの風景を見たら「凄い」と発し、写真に収めてしまうのだろう。

チェルノブイリのその後を収めた写真集を見た時も「凄い」、そう思った。そして感じるのは「凄い」と言う言葉を使う人間は、その風景を、表現が悪いが他人事、対岸の火事を見ているに過ぎないのだなと。被災した当事者は瓦礫の山となった自分達の町を見て決してこの言葉は口から出ないだろう。

単純な事で、エジプトのピラミッド、スフィンクスの近くに生まれ育った人間はそれらを見て今更「凄い」とは言わないと思う。三重県に住む超お金持ちは松坂牛のA5ランクを子供の頃から食べているから、お国自慢から「松坂牛は美味いぞ」とは言うだろうが、「松坂牛は凄いぞ」とは決して言わないだろう。

エジプトのピラミッドも三重県の松坂牛も、あくまでもそことは関係のない土地から来た観光客が「凄い」と発するのだ。だから被災していない人間が、被災地を見ると、無意識に「凄い」と口走ってしまう。

仕事として現地に趣いたTVレポーターが「凄い」と思わず喋ってしまうのは仕方のない事だし、週刊誌のグラビアの被災地写真を見て、今回の震災で被害を被らなかった東京以西の人間は「凄い」と表現してしまうのも仕方ない事だろう。

私が廃屋や廃墟が好きなのは、その風景を見て、そこにかつて一家団欒や、繁栄があった事を想像出来、ちょっとセンチメンタルに、文学青年っぽく、その時代を感じ、そこに栄枯盛衰を見て取れるから、ただの汚い廃屋、気味の悪い廃墟群に感動が生まれる。

我々は一般に、楽しく、嬉しい時に心が動かされた際に「感動」と言う言葉を使うが、哀しい、ハッピーエンドに終わらない映画やドラマを見ても「感動した」と言うのだから、屁理屈かもしれないが、被災地の風景を見て感動してしまう(感じて心が動かされる)のは、当事者でない他人としては仕方のない事だろう。

流石に、被災地の風景を見て「感動した!」と表現するのは首を捻ってしまうが、そう思うとつくづく日本語って難しい。当事者とそうでない人の両方の立場を何度も考慮して使わないと、そこに誤解や曲解が生まれてしまう。

但し、3月27日の記事で、「頑張ろう」と言う言葉は決して悪い言葉ではないと説いたが、加えて「凄い」も「感動」も本来は悪い言葉じゃないと思う。

先日、テレビのコメンテーターがやっぱり「心理学の世界では『頑張ろう』と言う言葉は禁句になっている」、そんな発言をしていたが、これこそが間違っていると考えたい。「頑張ろう」を使ってはならぬ、と説くのでなく、心理学を志している人々が「頑張ろう」と言う言葉は、その人を心底思った言葉であると説くべきだ。

本日の写真、昨年、一番ビックリたまげた風景。足尾の禿山である。この手の産業遺産を訪れる時はある程度歴史を予習しているが、銅の精錬作業で出る産廃がこんなのだったとは見るまで分からなかった。黒いから最初はタールのようなものかと思ったが、これがカラミと言うもので、ここはカラミ堆積場。今ではあちこちに草が生えているが、100年近く草木が生えない死の山だったらしい。

足尾鉱毒事件は学校の教科書にも掲載されている程。この山の風景を含め、この事件は当時、地元の人々には大変ショックな出来事で、川の鮎が大量死し、周辺の田畑の被害も相当なものだったらしい。結果、周辺の村は廃村になり、人々は移転を余儀なくされた・・・。廃村になった1つ、松木村跡も訪れたが、先祖のお墓がポツンとあるだけ。この墓を参る人も今ではいないのかもしれない。

これって?、そう、今の福島原発と同じではないか!。ただ、足尾とは何の縁もない私が今これを見ても「酷い」と言う言葉は出ない。やっぱり「凄い」と表現してしまう。大きな余震が収束したら、現地にお金を落とす為に、福島を訪れようと思っているが、その時、自分が体験した事のない事象に出くわしたら、きっと「凄い」と叫んでしまうのだろう。


にほんブログ村 写真ブログ デジタル写真へ
にほんブログ村のランキングに参加中です



コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)