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2010年では如何に?

2011年08月21日 00:00

廃なテニスコート

廃なテニスコート

Pentax K20D, Tamron AF18-200mmF3.5-6.3II

※ブログに視覚要素を加えるlightboxを導入しています。上記画像をクリックすると少し大きな画像をポッ,プアップして見る事が出来、暗くなった部分をクリックするか、画像下部のCloseをクリックすると元に戻ります。また複数枚の掲載の場合、写真上の左右をクリックすると画面が遷移します。



昨日の記事を踏まえ、その翌年であり、昨年でもある2010年について書いてみる。

レンズ性能云々でなく、作風がほんのちょっぴりであるが変化して行く。

元々、フィルム時代、主になる被写体にかなり近寄ってそれだけを部分的に切り取る、そんな手法を続けていた。勿論、街としての風景も撮影していたが、何か目に付いた風景を「物、オブジェクト」として切り取る事が多かった。窓、壁、階段、自転車、人物、動物、影etc・・・。

例えば下のような写真・・・(クリックすると写真がポップアップします)。

鉄塔
ガラスの破片
トタンと自転車
光と影
野良猫

今も半数くらいはこんな写真を撮っていると思う。でもフィルム時代や2009年春まではこの手の写真が8割くらいを占めていた(上の5枚は全て2009年1月~5月までの写真)。

要するに諸先輩方、写真雑誌、写真入門書に書かれている「引いた説明写真を撮るな!、被写体に寄れ!」、これが頭にこびりついていた事になる。勿論、これは間違いではないし、上の5枚は今でも自身の中で十分に肯定出来る、ドヤ顔可能な写真である。

でもある時ふと、「いやいや、説明写真の何が悪いんだ?」と感じるようになった。引き過ぎる写真は色々な物に目移りし、写真としては良くないとは思うが、それだけで引いた写真全般を悪者にしちゃいかんよね。だったらアラーキーの写真なんて全てNGになっちまう(笑)。

だから被写体に寄って、ここだ!、と思ったポイントから半歩~一歩後退する、もしくはズームを広角側にシフトする。そうやってほんのちょっと構図上に無駄な空間を作るようになった。下手すると「寄り切れていない写真」と言われてしまうが、「寄り切れていないのでなく、あえて引いた、空間を作った」と強調したい。

猫のいる風景
自転車のある風景
廃屋のある風景
空のある風景
蔓のある風景

空間、それがある事で、より主になっている被写体に目が行くのではなかろうか?、そんな意識が芽生え始めた。加えて、写真がデジタルになったお陰で、フィルム時代ではモノクロ写真にしか使えなかった覆い焼き、焼き込み処理がパソコンで可能になった。

だからこそ、撮影時に無駄な空間を作っておいて、RAW現像、レタッチ時に、その無駄な部分を焼きこんだり、主になる被写体の露出を明るく覆い焼く、そんな手法が誰でも簡単に出来るからこそ引き写真も面白さを理解出来るようになったとでも言おうか?。

単純な話、猫写真って可愛いとは思うが、ただそれだけで印象に残らない。誰が撮っても同じ写真にしか見えない。そうでなく、野良猫だったらどんな場所、境遇で生きている猫なのか、それが判った方が遥かに面白い写真に思える。実はこれこそ上述した「説明写真に過ぎない」のであるが、これを過去のカメラマンは何故否定し続けたのか?、それに疑問を持った訳である。

そもそも一般的な写真極意と呼ばれるものって正しくもあり間違いでもある事が多い。「写真を言葉や文章で解説してはならない」、これも諸先輩方が、上から目線で後輩や初心者に良く言う、大好きな言葉だろう。

向日葵の写真に「向日葵」とタイトルするのはまだ良いだろう。でもこれに「あの日の夏の思い出」なんてタイトルしたら、まさにそれは撮影者が思う、考えるように閲覧者に対して誘導している文章に過ぎない。だからそんな事を言う人達は写真にタイトルすら付けちゃいけないのではなかろうか?。

余談だが、時折、写真展などを訪れるとムカつく主催者、カメラマンがいる。私は良く「この写真ってどんな思いで撮ったの?」と質問する事がある。その写真に惹かれているからだ。でもこれに対して「あなたが見たまま感じて下されば良いのです、写真は見た方がどう感じるかなんです」なんて教科書的な台詞を吐くカメラマンって大嫌いだ。馬鹿じゃないかと思う。

「そうじゃねえんだよ。おまえがどう感じて撮っていたかで写真の質が変化するんだよ、この写真を見て、カメラマンの人としての心に触れたいって普通は思うよな。おまえの個展だろ、この写真達はおまえの主張であり、おまえの子供達だろ!、カッコつけてんじゃねぇよ、ボケ!」と怒鳴った事がある(笑)。

良い写真ってのは撮影者の人間性を理解、共有出来るからいいなぁと感じる訳だが、だからこそそれを撮ったカメラマンの人間性をより知りたくなるもんだ。撮影者と写真を切り離す、これって単なる報道写真でしかなく、記録写真の域を超えないと思っている(報道、記録写真を悪いと言っている訳じゃない)。


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コメント

  1. ryu.z | URL | -

    私は撮影する時は「寄り」もするし「引き」もします。
    引いた説明写真で私は良いと思うんですよね。
    スナップ中心でやってるせいでしょうけど。

    >「写真を言葉や文章で解説してはならない」
    私は殆ど瞬間的にシャッター切ってることが多いので、何故撮ったか?を聞かれると困ります。
    瞬間的に何か惹かれて撮ったはずなんですが、家に帰ったら忘れるし、PCに取り込んで見てても「何故撮ったんだ?」と思う事もしばしば。
    「お、これはいいな!」と思っても、言葉で説明できないんですね。
    その点では私は失格でしょうね。

    あと、私の写真を見ると、お里が知れると思います(笑

  2. BigDaddy | URL | -

    > ryu.zさん

    人間の心情で、寄ってから引くってのは非常に難しく、近頃は最初に引きを撮って、徐々に寄るようにしていますねぇ。昔はとにかく「寄れ!」と言う言葉が頭に引っかかり、最初に寄っていました。

    言葉で説明できない写真、うーん、これは私には考えられません(笑)。確かに感性で瞬間的に撮影する事もありましょうが、少なくともブログや写真展などで写真を選ぶ、人に見せる際には、こういう部分を見て欲しいと言う感覚があると思うんですよ。それを「あなたがどう見るかです」と言われるとカチンと来るんですよね(笑)。

  3. ryu.z | URL | -

    私の場合は「写真を言葉や文章で解説してはならない」ではなく、どちらかというと「言葉で説明できないから写真を撮ってる」方なんです。

    言葉で表現出来るなら小説でも詩でも書きますし、現に言葉を紡げる人は凄く羨ましく思います。

    私のブログのエントリータイトルが「ある日の街の記録」であることが、私の写真は記録であることの証明です。
    何時何処で撮ったのか?そういうことも一切書かず、ただ私の目の前にある風景を付きつけるだけなんです。
    それが目を逸らしたくなるようなものでも、これが「現実」としてあるんだと。
    私の写真の殆どはそういう気持ちですね。

    あ、言葉で説明できましたね。
    言葉を引き出してくれて、有難うございます。

  4. BigDaddy | URL | -

    私もryu.zさんの撮影スタイルにケチをつけている訳でなく、今までに何度かryu.zさんのお写真にコメントをし、質問をさせて頂きましたが、ちゃんとryu.zさんは回答を用意されている。今もこうやって表現出来ないと言いつつも(笑)、ちゃんとご自分のポリシーを語られている。

    でも中には質問しているのにそれをはぐらかし、単に「写真をお褒めくださいありがとう。今後とも宜しく!」でコメントをしめちゃうようなカメラマンも多く、それが嫌いなんです。カッコつけてんじゃねぇよ、って思うんですね。

    何度かそういう人と酒の席を設けた事があったのですが、たまたまなのか、まぁ自分に対して主張ばかり。つまり写真展ではカッコついているだけな人が周囲には多かった。カッコつけている人って実はかっこ悪い、何故それに気付かないのか?。そんな事に気付かないカメラマンの撮る写真ってのはそもそも心がこもっていないんだなぁ、それが今回の上の文章となるんです。

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