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軽井沢だって宿場町だった

2012年02月16日 00:00

北国街道 海野宿

北国街道 海野宿

Pentax K10D, SMC FA28-70mmF4AL

※ブログに視覚要素を加えるlightboxを導入しています。上記画像をクリックすると少し大きな画像をポップアップして見る事が出来、暗くなった部分をクリックするか、画像下部のCloseをクリックすると元に戻ります。また複数枚の掲載の場合、写真上の左右をクリックすると画面が遷移します。



前回の記事で、中山道の塩名田、望月、茂田井、芦田、そして北国街道の海野宿を歩いたと書いたが、人は知らない間にかつての宿場町を訪れている事がある。

関東近郊にお住まいの方は一度は軽井沢を訪れた事があると思う。その軽井沢、かつては中山道の江戸から数えて18番目の宿場町だ。

私も実は若い頃は知らなかった。今も尚、夏にもなれば多くの人で賑わう旧軽井沢の軽井沢銀座、ここが軽井沢宿だったのだ。江戸時代の面影はほとんどない。

唯一それっぽいのは軽井沢銀座の一番奥にある「つるや旅館」だろう。西洋文化だらけの軽井沢の中で何故か和風旅館がある。ここは江戸時代、鶴屋と言う旅籠だった(明治時代に現代のつるや旅館となったそうだが、建物は勿論、当時のものではない)。

この軽井沢、21世紀の今も男が女を連れて行きたい場所の1つ、もしくは旅先での出会いを期待するは最適の場所ではなかろうか?。軽井沢と聞くとどうしてもエロスを想像してしまうのは私だけではあるまい。これは軽井沢がお洒落の街と言うだけではない。日本人のDNAがそうさせているのかも・・・。

と言うのも軽井沢宿は、険しい碓氷峠を越えてすぐの宿場町。だから長く滞在する旅人が多かったらしく、結果、飯盛女も沢山いたようだ。飯盛女とは旅籠の女中の事ではない。娼婦である。要するに軽井沢は岡場所化していたと言う。そう、江戸時代から軽井沢は歓楽街、男と女の町だったのだ。

さて、軽井沢宿の1つ前、碓氷峠に差し掛かる直前の宿場が坂本宿。これは高速道路が軽井沢まで通じる以前、そして碓井バイパスを通らずに国道18号線を走って軽井沢へ向かうと嫌でも通るかつての宿。そう、国道沿いにあるのだ。

ここがしっかりと左右を眺めないと一瞬にして通り過ぎてしまう。片道一車線道路だが、信号も少なく渋滞をする場所ではないので、一瞬にして通り過ぎてしまうのだ。実は私もここに宿場町があったとは10年くらい前まで知らなかった程。

ちなみに廃墟で有名だった丸山変電所(今は復元されて廃墟ではなくなってしまい、重要文化財となっている)はこの坂本宿を越えてすぐの位置にあったりする。

そして軽井沢宿の先、沓掛宿(くつかけ)も軽井沢を訪れた人々は知らないで歩いたり、車で通過したりする場所だ。今の中軽井沢駅周辺の国道18号線沿い、ここがかつての沓掛宿だった。旧軽井沢宿以上に昔の面影は無いが、その先の追分宿は中軽井沢を越えて、18号線を走っていれば右に分岐する細い道を見つける事が出来、そこを右に折れると追分宿となり、ここは18号線から外れるので、多少は面影が残っていたりする。

また中山道ではないが、追分宿からは北国街道へと分岐し、その先には小諸宿がある。小諸は城下町でもある観光地、また軽井沢から清里へ抜ける際にもここを通過する事になり、多くの観光客はここを宿場町だとは知らずに通り過ぎていたりするのだろう。

本日の写真は北国街道の海野宿の風景だ。同じ宿場町でも軽井沢のように西洋の文化が入り、近代の避暑地となった町もあるし、この海野宿のように昔の風情のまま残っている場所もある。日本って面白い、そして街道ってやっぱり面白い。


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コメント

  1. solo | URL | -

    BigDaddyさん
    これも好きな写真です。

    柳の木陰で、缶コーヒー、そして瞑想
    誇張の無い写真って、なが~~く見ていても飽きません。

  2. BigDaddy | URL | -

    > solo さん

    ありがとうございます。

    柳って私にとっては滅多に被写体になる事はなく、普段歩いていて柳が気になる事すらありません(笑)。
    でも、柳の和のイメージは非常に強いですよね。こういう風景にはマッチし、それを主体にしようと背景をボカしてみまいた。

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