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新宿について語ってみる

2012年06月17日 00:00

かつての内藤さんちからドコモビルを見る

かつての内藤さんちからドコモビルを見る

Pentax K-7, Sigma AF17-70mmF2.8-4OS HSM

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特に歴史に強い訳でなく、また歴史を調べる気もないのだが、昔の文化については結構図書館等を利用して色々な文献を漁っていたりする。今日はそんな話をちょっと・・・。

五街道、小学校だか中学校だかで必ず習う。東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道(甲州、日光、奥州は正しくはxx道中と言うらしい)。

でも意外と知られていないのが、江戸の四宿。江戸と言う土地にあった宿場。品川宿と先住宿はなんとなく出て来るが、残り2つが判らないかったりするだろう。答えは内藤新宿と板橋宿とである。

内藤新宿・・・、そう、あの高層ビル群、歓楽街のある今の新宿である。東京には「宿」と言う地名が幾つかあり、そのうちの1つがこの新宿。24時間眠らない町である新宿は昔も眠っていなかったのだった(宿場には必ず飯盛女、娼婦がいたから)。

ここで疑問が沸く。新宿って事は旧宿もあったのか?(笑)。どうも内藤新宿が正規に幕府に認定される以前は一体は内藤宿と呼ばれていたとの事。だから新たに宿場町が設定されたから内藤新宿となったそうな。

では内藤とは?。これは人の名前。内藤さんである。wikiで調べると信濃国高遠藩の内藤家の敷地を利用したから内藤宿、内藤新宿との事。なるほどねぇ、勉強になるぜ!。

そしてこの内藤と言う名前は今も新宿区内藤町として残っている。そしてその内藤町にあるのが新宿御苑。ここは以前は農業試験場だったり、皇室のお庭だったり、ゴルフ場だったりした訳だが、元々はその内藤さんの敷地。

さらにこの元々内藤さんの敷地、かつては皇室のお庭だったすぐ横にはゲイやオカマちゃんで有名な新宿二丁目がある。新宿御苑から新宿通りを挟んですぐのところ。昔はこの周辺は飯盛女がいた岡場所であったのだが、近年は生物学的には男ばかりの町になっている。ここが面白い。

そう言えば10年以上前の話。新宿御苑を散歩していたら、セーラー服の集団が撮影会を開いていた。互いを撮りあっていて、ほのぼのしいと感じたが、良く見るとおかしい。みんな背が高い。近寄ってびっくり。彼女らは女装集団だったのだ。

近頃、マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブ、はるな愛らの女装家さん?を当たり前のようにテレビで見る事が出来るが、そんな今でも現実に街中で彼女達を見るとびっくりする。それが10年前だったら尚更で、しかもかつての武家屋敷、皇室の土地に女装集団がいるってのはある意味面白い。

時に私は大きな勘違いをしていた。新宿歌舞伎町。内藤新宿の岡場所がその辺にあったから今も尚、歓楽街として賑わっていると思ったら、歌舞伎町って歴史が浅かったのね。どうやら戦後、西新宿の再開発で出来た町らしい。

しかもこれも最近まで知らなかった事として、歌舞伎町と言うくらいだから、昔、ここに歌舞伎座があった、かつての歌舞伎座が新宿コマ劇場になったものだとばかり思っていたが、正しくは、歌舞伎座を作る予定だったけど作られなかった、その代わりに新宿コマ劇場が作られたとの事。うーん・・・、こういう事を知らなかったのは私だけか?。

つまり、内藤新宿の一部であった新宿二丁目は歌舞伎町と同じく歓楽街ではあるが、その歴史は全く異なるものであり、文化的、歴史的に見ると、新宿二丁目の方が古く、由緒正しい?、歓楽街である事になる。元々二丁目は赤線(公娼)であって、売春を目的とした本物のオネーサンが仰山いたが、例の売春防止法によって、悉く店が潰れ、その空き物件にオカマちゃんらが目を付けた・・・、らしい。

「もしも・・・」、歴史や文化を語る上でこの仮定形は面白い。もしも今も尚、日本に公娼制度があったら、新宿二丁目は男と女の出逢いの場であったろうし、新宿御苑にはコスプレをした公娼達による撮影会が開かれ、反対に歌舞伎町にゲイ達が集まっていたかもしれない。そもそも歌舞伎と言う文化そのものが男色傾向が強いのだから。

さて、その新宿。私はと言うと・・・。かつての通学路、デート場所、音楽の街、そんなイメージである。学校へ通うのに新宿で乗り換える必要があったので、必然的にデートコースになるし、また高校生の頃からバンドを組んでおり、当時はずっと新宿の音楽スタジオを利用していた。レコード、CDを買うのも以前はずっと新宿だった。

だから写真を趣味とする上で新宿と言う町は全く縁が無かった。フィルム時代、カメラのほとんどは中野のフジヤカメラで買っていたし、お散歩写真と言えば、新宿よりも内側の四谷や市谷、飯田橋に向かう事が多かった。

それが今はやたらに写真関連で新宿へ行く機会がある。そうなんだ!、新宿にはPentaxフォーラムがあり、うちのカメラが色々と壊れてくれちゃったりするから、なんだかんだと、それだけの為に年に何度も新宿をウロつく羽目になる。

K-mはピント調整、K10Dはピント調整とセンサーの傾き調整、K20Dは中身の部品がすっかり変わるくらいの大手術で、K-7、K-5も・・・(この話はいずれまた)。

今年すでに、Pentax 645DやK-01を借りたり、2台のK-5とK-7を入院させ、それの引き取り等で4度も訪れている。今後もK-30のイベントや、秋以降に発表されるであろうK-5の後継機種のイベントにも行くだろうし、戻ってきたカメラ達の不具合がまだあるかもしれず、新宿で写真を撮る機会が増えるのであった。今や私にとって「新宿に行く」と言う言葉は「Pentaxに行く」と同義語であろう。

本日の写真、K-5、K-7の退院の為、新宿を訪れた際、ただ「Peneaxに行く」のも馬鹿馬鹿しく、四谷から歩いて10年振りくらいに新宿御苑を訪れた時のコマ。ここがまだ内藤さんちだった頃、周辺にちょっとした高台があったらドコモビルの先の辺りで富士山をしっかりと拝めたろう。


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