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野菊の墓って市川じゃねぇか!

2012年09月27日 00:00

政夫と民子が見たであろう風景の今

政夫と民子が見たであろう風景の今

Pentax K-5, Sigma AF17-70mmF2.8-4OS HSM

※ブログに視覚要素を加えるlightboxを導入しています。上記画像をクリックすると少し大きな画像をポップアップして見る事が出来、暗くなった部分をクリックするか、画像下部のCloseをクリックすると元に戻ります。



今日はお散歩写真日記の体裁で書く事にしよう。続きの下にも写真があるので、是非最後までご覧になって欲しい。

先日、ふと、あの寅さんで有名な柴又、帝釈天に行ってみた。ここはフィルム時代に一度訪れた事があったが、さほど興味を惹く被写体がなかった記憶がある。でもだいぶ以前だがブラタモリでも紹介された町だから、「タモリが見た風景」と題してブログネタを作れるだろうし、つまらんかったら適当に路地散策だ!・・・。

しかし、地元の方には申し訳ないが、やっぱり柴又には心躍るような風景は無かった。今回はせっかくだから寅さんの写真でも・・・。


寅さん

寅さん


帝釈天の彫刻ギャラリーでも見ようかとも思ったが、一人でそんなもの見ても面白くもないし、さてどうしようか、高砂まで適当に歩きながら路地探索でもしようか、高砂から電車で千住宿(千住大橋)まで行こうか?・・・。いや、待てよ、せっかくだから矢切の渡しで千葉県側に渡して貰おうか!。



矢切の渡し、片道100円也

矢切の渡し、片道100円也


矢切の渡しは冒頭のフィルム時代に帝釈天を訪れた際にも乗った事がある。この時は河川沿いにある里見氏 vs 北条氏の合戦の場となった里見公園を散策して、すぐに東京に戻っただけ。今回はせっかく千葉県に入るのだから河川敷だけでなく、もっと奥まで行ってみようと思った。

すると案内板に「野菊の墓」とある。うん?、これは文学小説の「野菊の墓」かいな?。恥ずかしながら「野菊の墓」を読んだ事がなかった。へぇ、ここが舞台なんだ。ならばその野菊の墓に行くしかないでしょ!。

小説の舞台や、作者縁の地などを歩く場合、その小説や作者の人生を知らないと全くもって面白味に欠けてしまう。

伊豆の天城だって、七滝を散策し、旧天城トンネルまで足を伸ばす、そんな観光が一般的だが、「伊豆の踊り子」を読んでいる、いないで感じ方は異なる。太宰治に興味のない人間が斜陽館を訪れてもただの古い旅館を観光化しただけの施設にしか見えないだろう。

でもそこは千葉県、牧歌的な風景が広がって、日頃、ちまちまとした路地裏ばかりをウロチョロと探索している身にとっては気分は爽快。強烈な陽で、また腕が黒くなってしまったが、のんびり散歩、野菊の墓を知らずとも楽しめる町、それが矢切だ。



ネギ、ネギ、ネギ!

ネギ、ネギ、ネギ!


野菊の墓、きっと映画やテレビドラマ化されていたろう。となると山口百恵と三浦友和?、うーん、でも見た事ないなぁ。本は嫌いじゃない。一時期純文学に傾倒した頃もあった。でも何故か「野菊の墓」は読んでいない、不思議だ・・・。

調べてみると、私の時代で「野菊の墓」と言えば松田聖子主演の映画だった。これでピンときた。この人に全く興味がない。そんなタレントが主演している映画なんぞ見ないし、原作だって読まない。その頃、すでに洋楽にドップリ浸かっていて、ロックとブルースとジャズしか聴かなかった人間だったし、ぶっちゃけちゃうと顔が好みでない。

※アメリカドラマ「BONESシーズン5」のある回で松田聖子が日本人記者役で出演していたが、それだけでウザッたいと思う程、顔が苦手。役柄もちょっとムカつく感じだったし・・・

さて、四方八方のネギ畑の中を抜けると(この道が野菊の小道と言うらしいが季節なのか菊らしき植物は皆無)、小高い丘があり、どうやらそこに野菊の墓があるらしい。地元のおばちゃんに尋ねると「な~んもないよ、つまらんよ~」と言うが、むしろな~んもない方が写真的には面白かったりするので、そこそこ期待はしていた。

野菊の墓、この言葉、そして当時、ここは矢切村、田舎も田舎。そうなると地方へ行くと良く見かけるような、田畑の隣にチョコンとあるような一族のお墓だったり、民家の裏の小高い丘に集落の小さな墓地があったり・・・、そんなのをイメージしていた。



30センチくらいの小さな案内看板

30センチくらいの小さな案内看板


階段脇に小さな手描きの看板。なるほど、ここを上ると野菊の墓があるのね。で、そこで見たものは・・・。確かにそこはお寺さんで、墓地がある。でもお寺さんの墓地だからどこにでもあるような風景。その横に野菊の墓の文学碑が建っているだけ。うーん、確かにおばちゃんの言う通り、な~んもない。


野菊の墓、文学碑

野菊の墓、文学碑


そして周辺を歩いていて見つけたのが展望台のようになっている小さな公園。そこからの景色が本日トップの写真である。単に文学碑があるだけだったら結構へこんでいたと思う。

と言うのもここに着いたのは午後4時を大幅に過ぎていた。矢切の渡しの最終が4時半であり、ここを見る為に、それに間に合わず、大きく迂回し東京に戻らねばならなかっただからだ。でもこの景色を収められただけでも御の字。あとは帰宅後、「野菊の墓」を読んで、回想すりゃいい。

ちなみにこの野菊の墓の文学碑のある場所から歩いて10分くらいに北総線の矢切駅があり、これに乗れば高砂まで行け、そこから京成線で上野に戻れるが、反対側、JRの松戸駅を目指そうと思うと、路線バスを使わない限り、1時間以上歩く事になる(この日は夕暮れの光が良かったので松戸まで歩いた)。

帰宅後、早速「野菊の墓」を読んでみる事にする。すでに著作権が切れており、青空文庫に掲載されていた。短編小説なので20分くらいで読み終えると思うので、今回のネタに興味のある方は是非読まれたし。その中にこんな段落がある。

僕が三日置き四日置きに母の薬を取りに松戸へゆく。どうかすると帰りが晩くなる。民子は三度も四度も裏坂の上まで出て渡しの方を見ていたそうで、いつでも家中のものに冷かされる。民子は真面目(まじめ)になって、お母さんが心配して、見てお出で見てお出(い)でというからだと云い訣(わけ)をする。家の者は皆ひそひそ笑っているとの話であった。


江戸川から見ると表であるが、街道筋はこの丘の向こうにあり(バス通りがそれに該当すると思われる)、江戸を望むには裏手になる。本日の写真の場所はまさにその裏坂の上なんだろう。しかし、トップ写真で見れば奥の鉄塔の先辺りに江戸川、矢切の渡しがあり、視力が2.0くらいないと見送りなんぞ無理、人の姿は米粒よりも小さい。

内容は作品の題名からして主人公が亡くなってしまう悲恋物語、案の定その体であった。しかし最後まで読み進んで、驚愕の事実が発覚!。

なんと!、野菊の墓は市川にある、そんな設定になっているじゃないか!。市川はこの矢切から歩いて行ける距離にあるが、じゃぁあの文学碑のあったお寺さんの墓地は小説の「野菊の墓」とは全く関係ないのね?。

あくまでも推測だが、主人公の政夫の実家、これに符合するような場所がそのお寺さんだったんじゃなかろうか?。「野菊の墓」の冒頭にこんな行がある。

僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切(やぎり)の渡(わたし)を東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。


さらには・・・。

村のものらもかれこれいうと聞いてるので、二人揃うてゆくも人前恥かしく、急いで村を通抜けようとの考えから、僕は一足先になって出掛ける。村はずれの坂の降口(おりぐち)の大きな銀杏(いちょう)の樹の根で民子のくるのを待った。ここから見おろすと少しの田圃(たんぼ)がある。


実際にはこの丘の上のお寺さんは松戸から二里もない。直線距離でせいぜい一里。まぁ松戸と言っても今のJR松戸駅ではなく、もっと6号線(水戸街道)を下ったところかもしれないから、作者はこのお寺さん周辺を実家と想定したのだろうな。調べてみるとこのお寺さんに以前は大きな銀杏があったそうな。

毎日七日(なぬか)の間市川へ通って、民子の墓の周囲には野菊が一面に植えられた。その翌(あ)くる日に僕は十分母の精神の休まる様に自分の心持を話して、決然学校へ出た。


文学碑の横に墓地、小説「野菊の墓」を知っている方でも、ここを訪れる際に改めて読み直さない限り、民子の墓が市川にある事を覚えている方は少ないだろうし、東京や千葉にお住まいの方なら、市川がどこにあるか、矢切の渡しとどれくらい離れているのか、判断付くが、このお寺さんが野菊の墓だと今も尚信じている方もいらっしゃるのではなかろうか?。

しかも文学碑へ昇る階段脇には上の通り「野菊の墓、文学碑」でなく、「野菊の墓」とだけ書かれていて、昇ったら右手が墓地だから、誰もが勘違いしてしまうだろう。松戸市のホームページの観光案内に掲載されているくらいのいわば名所、もうちょっと工夫が必要だと思う。下手したら地元の住民でさえ、あのお寺が野菊の墓そのものだと間違った解釈をしているかもしれない。

時に、小説では裏坂、江戸川方面は田んぼが広がっていて、その傍らに野菊が咲いているなる描写を見つける事が出来るが、現代ではほんの一区画で稲が実っていただけで、矢切の渡し周辺全てはネギ畑だった。そしてそのネギ畑の傍には野菊ではなく、傘が植わっていた(笑)。


野菊じゃなく傘が植わっていた

野菊じゃなく傘が植わっていた


そんな訳でせっかく「野菊の墓」の舞台となった地を訪れたのに季節外れな事から野菊そのものは一輪も見る事が出来なかった。そこでふと疑問が沸く。そもそも野菊ってなんじゃいな?。

調べてみると様々な種類があるようだ。画像を見る限り、昔うちの実家に植わっていたマーガレットとソックリ。マーガレットも菊科である事、この記事を書く上で初めて知った。

そしてやはり、「野菊の墓」の墓の野菊とはなんぞや?、これを検証しているページが幾つもあった。ノコンギク、カントウヨメナ、ユウガキが有力のようで、かつて上述した文学碑の脇にこの三種の野菊が植えられていたそうな。


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コメント

  1. ハッセルじいちゃん | URL | lalX43Vc

    こんにちは!
    寅さんの周りは もう昭和は残ってなかったのですね。
    開発よりも映画のほうが ずっと後だから仕方ないのかな。

    野菊の墓 こんな文学碑だけなら立て看板は要らない気がします。
    最後の締めの「野菊じゃなく傘が植わってた」が面白いです^^
    関西の淡路島も玉葱の産地なので、こんな風景ばかりです。
    今まではフェリーで気軽に行けたのですが、高速料うんぬんでフェリー会社が倒産してからは 随分とご無沙汰です。
    阪神淡路大震災の跡も もう一度行ってみたいのですが・・・

    大阪駅の北ヤードは 来春オープンだそうですが、貨物ターミナルは まだ健在です。
    全てが完成するまで 僕は見届けられるか??です^^




  2. BigDaddy | URL | -

    > ハッセルじいちゃん さん

    帝釈天、そして周辺のお土産屋、団子屋のある参道は恐らく昭和のままだと思いますが、どうもそこから外れた瞬間に普通の町なんですよねぇ(笑)。自分ち辺りと変わらんやって。

    むしろ川を渡り、千葉県側に入ってからの方が風情がありました。文学碑だけってのはびっくりしましたが、あそこは小説をしっかりと読んで、細かく記憶している人には面白いでしょうね。確か小説通り、丘になっていて、その先には街道があり、その街道は今はバス通りですが、宿場町ってほどではありませんが、昭和の街道、そんな町並みでした。

  3. ぐり | URL | mQop/nM.

    こんばんは

    野菊の墓紀行 たのしく読ませて頂きました(^^)

    そして写真、なんといっても傘!
    こういうの、なんていうかシュールで好きです。
    自分にはむしろ野菊が咲いているよりよかったです(笑

  4. BigDaddy | URL | -

    > ぐり さん

    ありがとうございます。

    ハッセルじいちゃんさんも笑って頂きましたが、野菊ではなく傘が植わった写真、この写真を撮った時点はこんなネタは浮かびませんでしたが、実際に小説を読んでみて、これは使える!、と思いましたよ(笑)。

    来月初めくらいには実際に野菊が咲くそうで、時間があればもう一度訪れてみたいと思いました。今度はちゃんと野菊を撮って(笑)。

  5. おもしろい

    当方のホームページで、矢切駅、時刻表
    を記載しています。

    ご参考まで

    矢切流
    http://www.yagiri.info/

  6. BigDaddy | URL | -

    > 矢切流管理者 さん

    ありがとうございます。

    今度、松戸やその周辺を訪れた時、矢切流管理者さんのサイトで口コミなどを参考にして食事しようと思います。

    どうぞ今後とも宜しくお願い致します。

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